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石瀬鉱山探訪記 [鉱物 (弥彦山周辺・石瀬鉱山)]

弥彦山と双耳峰の多宝山(633.7m)の新潟平野側(北東~東麓)には、いくつか坑口が残っています。
弥彦山一帯では江戸時代より銅の採掘が行われていたのですが規模は小さく、いつしか立ち消えになったようです。
その後、明治時代後期から大正時代にかけて白瀬財閥が資金を投入するなどし、日本海側の間瀬銅山では短い間ですが鉱山は活況を呈します。
多宝山の平野側の山麓でも一匹狼の山師たちが一攫千金を目論み、あちこちで試掘をしたようですが、大きな脈の発見には至らなかったようです。
従って鉱業関係の文献にも名前が出てくることもなく(そもそも間瀬銅山でさえ、新潟県地質図説明書では取り上げられていない。弥彦~角田山近辺では間瀬の沸石についての言及があるのみ)、郷土誌にも簡単にしか触れられていないので坑口の位置や鉱山の規模などはわかっておりません。

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さて、この絵地図をご覧ください。
ここに古い地名や俗称、旧道や小字名などがもれなく載っています。
青龍寺前から石瀬神社方面に流れている川を茶屋川というのですが、茶屋川上流の沢沿いに坑口が残っているのです。
「ミックンのつぶやき」というHPでは、多宝山界隈という項で3つの坑口が紹介されており、そのページの下部に、それとは別物ですという断り書き付きで石瀬鉱山の坑口が紹介されています。
前後の文脈や地形から分析すると、多宝山界隈の鉱山として紹介されていた坑口は多宝山の8合目から上にあるのだと思い込んでいたのですが、実は全然違いました。
茶屋川は石瀬神社から先、ポンプ場跡から上流で二手に分かれますが、それぞれの沢に正式名称は付いていないようです。
なので、ここでは赤滝のある方の沢を小滝沢、黒滝のある方の沢を大滝沢と呼ぶことにします。
実際、そういうふうに呼んでいる沢屋さんや登山家の方が数名いらっしゃったので、それがわかりやすくていいと思うからです。
2月24日、大滝沢沿いに残っていると思われる坑口を探しに、大滝沢を遡行してきました。
「ミックンのつぶやき」及び「柵の向こう側」というHPで石瀬鉱山の坑口として紹介されている写真はどれも小滝沢で写されたものと判断したので、まだ誰もネットにアップしていない大滝沢沿いの坑口を探しに行った次第。

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入渓して10分も歩かないうちに大きな滝が出てきます。
大滝沢のいわれとなった大滝(落差約20mm)です。
大滝の写真は多くの方がネットにアップしていますが、それらの写真と比較すると倒木の数が半端ないです。
倒木がなかったら、この滝は名瀑であることは疑いようがありません。
この滝の手前から沢沿いに伸びている踏み跡は左岸に移り、左岸から簡単に巻くことができました。
しかし、落ち葉の堆積がすごく、滑りやすいことといったらありません。
岩も非常に滑りやすく、神経をすり減らしました。

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大滝をすぎると、しばらくは癒やし系の渓相が続きます。
新緑の時期だったらさぞかしきれいなことでしょう。
小滝がどんどん現れますが、どれも直登可能。

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そしていきなり最初の坑口が現れました。
GPSによると、標高156m地点になります。
中へ入ってみます。

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奥行きはなく、3mぐらいで行き止まり。
下には錆びた空き缶が2個ほど、泥にまみれて転がっていました。

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鉱物観察が目的なので、側壁の写真も紹介します。
といっても、もう一つの坑口内部もそうですが、何もめぼしい鉱物はみられなかったです。

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標高175m地点で、2つ目の坑口発見。
間口もさっきのそれよりはずっと大きく、入り口から中を覗き込むと思わず手に汗を握りました。

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本格的な坑道です。
4~5m先まで水没していますが、水深は10cmほどしかないので歩を進めてみました。

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約20m先で行き止まり。
壁面を詳しく観察すると、黄鉄鉱(たぶん)の微粒子が坑道終点から3mほどの区間の壁面に浮き出ていることがわかりました。
でもそれだけ。石英もなにもない・・・

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2つ目の坑口から上流部を写してみました。
あるブログで大滝の先に三段滝があるとの記述があったのですが、この滝が三段滝でしょうか。
この先に坑口はないような気がしたし、今回の装備ではこれ以上上を目指すのは危険と判断、ここでUターンしました。

さて、帰宅後改めて「ミックンのつぶやき」を見てびっくりしました。
彼のサイトで”多宝山界隈”の坑口として紹介されている写真、ぼくが今回見つけた坑口と同じ場所ではないですか!
多宝山山頂付近で見つけたんだろうなと思っていたのですが、大滝沢だったんですね。
となると、ひとつだけ解せない点があります。
それならなぜミックンは、すぐ隣の同じような標高の場所に存在する坑口を石瀬鉱山のものとし、こちらを多宝鉱山に分類したのか。
今日新潟市の図書館へ行って、西蒲区の住宅地図を見てきました。
すると、やっぱりこの一帯は石瀬地区に該当するようです。
多宝鉱山も石瀬鉱山も、実は鉱区の名称が昔は結構混同されていた可能性があると思うのですが。
さて、行きは大滝沢を遡行して多宝山へ抜け、帰りは小滝沢を下降するというルートで沢登りした人の記録も読みました。
具体的な場所は書いてなかったですが、3つの坑口を発見したとありました。
小滝沢で2つ(うち1個は狸掘り跡)、大滝沢で2つが現状判明している坑口の数なので数は一致します。
やはりあそこより上流へ行っても無駄足に終わったと思います。
しかし、しかしです。
本日新たな情報を入手。
1枚目の絵地図に、元薬師という地名が見えますが、ここから多宝山山頂~石瀬峠を結ぶ登山道に途中合流するへつり道が元薬師のあたりから存在するみたいなのです。
その方の登山記録によると、大滝沢の三段滝のあたりで踏み跡が消えたから、左岸の尾根を目指してエスケープ、20分後へつり道に出たとありました。
で、へつり道を進んでいたら坑口を見つけたとのことで、坑口の写真が1枚アップされていました。
そのへつり道は採掘した鉱石を運搬するために作られた道だったのでしょう。
弥彦山周辺はこのような地図に載っていない旧道や廃道、作業道やけもの道が多いので、それらを片っ端から歩くのも面白いかもしれません。
実際、それらの道をくまなく探査し、山野草の秘密のお花畑探しに精力を傾けている人も少なくありません。
一例をあげれば、新潟県山岳会の重鎮・上村幹雄氏。
上村氏が自費出版している本を県立図書館で見ることができます。
上下2刊あり、それぞれ角田山編と弥彦山編に分かれ、山野草スポットが詳しく紹介されているのです。
もちろんそこには失われた鉱山道の情報なんかもさらっと書かれていたりして、とても参考になりました。


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