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鮫銅山滝壺ノ沢徹底調査 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

明治時代に間瀬銅山について書かれた、曽我俊二郎氏の文献から引用します。
「八号ひの南方凡そ四百五十尺程にして東西に走るひなり、此れを鮫ノひとなす。(中略)鮫ノひの南方に走向して南に傾くひあり、野積の滝壺ノ沢に露頭あるにより滝壺のひと云う。此れ野積鮫ノ沢付近の主なる鉱脈なり。」
※ひ=鉱脈

どちらの沢も現在用いられている名称とは違うのですが、本ブログでは明治時代の山師たちに敬意を払い、当時用いられていた鮫ノ沢、及び滝壺の沢という名称を使います。
さて、ここ2年間の度重なる現地調査によりそれぞれの沢を特定しました。
鮫銅山は「日本の鉱山文化」(国立科学博物館)に絵図が載っており、江戸時代から稼業されている古い鉱山であることがわかっています。
しかし、明治時代以降の変遷については間瀬銅山以上に資料がなく、謎に包まれています。
滝壺の沢鉱区については、沢の名称の由来となったと思われる、中間部に現れる2段の大滝までしか行ったことがなかったので、先日源流部まで歩いてみました。

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これが大滝(この写真だけ昨年撮影のものを使いました)。
左側に大岩壁があり、露天掘り跡らしきものや膨大なズリがあります。
加えて右岸の河岸段丘には古いドラム缶も放置されており、大岩壁は南斜面。
したがって、”南方に走向して南に傾くひ”という条件に合致していることから、ここが滝壺の沢であると判断する次第。
鮫ノ沢も3本の支流に分かれており、それぞれ滝を有しますが、スケールが全然違うのです。

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4月4日と9日それぞれ滝壺の沢を訪れたのですが、4日は弥彦スカイラインを利用し、5合目の駐車場に車を駐車。
そこから車道を歩き、源頭部が近くなったところで林に突入、一気に河原へ降り立ちました。
ここは100mほど下ったところですが、やっとこの辺りから水がちょろちょろ流れ出しました。
地図で想像していたより傾斜は緩やかで、割とスムーズに大滝の真上まで来ることができました。

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正確に言うと、途中から左岸に踏み跡が出てきたのでそこをトレースしたのですが、途中で謎の石垣が出現。
索道の土台とは思えないし、焼き窯用の石組みでしょうか。

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滝はこの下に位置しているのですが、さすがに傾斜が急なので、この時は河原には降りず、踏み跡を辿ってみました。
ここまでの区間に露天掘り跡や坑口は現れなかったので、途中から現れた踏み跡がどこへ通じているかの興味が勝ったのです。
大滝直下の左岸には大きな岩壁があるのですが、ここからそっち方面を見ると、真下からは見えなかった風景が目に飛び込んできました。
左側の黒い岩壁はそれでも下からなんとか見えたけど、右側のそれは今回初めて見ました。
ひょっとしたら坑口が待ち構えているかもしれません。
9日、上の写真の岩壁上部を訪れることを目的に再訪。
その日はいつものように下流部からのアプローチ。

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滝壺の沢は河原が比較的広いので、とても歩きやすいです。
途中からこのようなちょっとした岩場が出てきたり、方解石の結晶がたまに現れたりするので飽きることがありません。

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この沢の河原で見られる方解石はマンガンを若干含んでいるようで、長波のUVライトでピンク色の蛍光を示します。

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大岩壁直下へやってきました。
記憶にあるより傾斜が絶壁に近く、上部の岩場へ行くには左側から大きく巻く必要があります。
取りあえず岩壁の付け根を端から端までくまなく探索しましたが、坑口が潜んでいそうな怪しい暗がりのある空間は右端の奥にありそう。

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この大岩壁はどこもややオーバーハングしていたので、一応高巻きして岩場の上端を歩いてみたのですが直下の地形が全く見えないため、いったん大滝の中間部にザイルを使って下降しました。

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降下地点から滝の下半分を眺めるの図。
しかしながら、ここからも岩壁の地形はよくわからなかったため(思ったより起伏が大きく、複雑な構造だった)、歩けそうなリッジを歩いてギリギリまで接近してみました。

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対岸から眺めた時に見つけた”怪しい場所”とはやや違うような気がするのですが、どうも天然の地形のよう。
坑口ではなかったです。

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帰りは、この岩場の上に現れた尾根を下って下山。
なんと、対岸のみならずこちらがわの斜面にも踏み跡が現れたのです。
そして、こちらでも焼き窯用と思われる石組みを発見。

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さらには古い瓶まで出現。
一升瓶よりは気持ち小さい気がしますが・・・
踏み跡は終始しっかりしており、ピンクのテープも3~4本見かけました。
尚、対岸にあった踏み跡はどこに通じていたかというと、標高約240m地点で西生寺から伸びる登山道に合流したんです。
こちらの踏み跡も終始しっかりしており、ひょっとしたら大滝直下の現場から採掘された鉱石は、この踏み跡を通じて野積村へ運ばれていたのかもしれません。
いや、きっとそうです。






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