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顕になってきた大沢鉱山の全容 (3) [鉱物 (村上市・大沢鉱山)]

坑口が4つ開口していた大岩壁から、標高差にして10m弱北へ下っていったら、いかにも坑口が現れてきそうな地形に出ました。
そして予想に違わず、大沢鉱山エリアで遭遇した中では最も間口が大きな坑口が出現。

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坑道は高さがあり、背を屈めなくても歩くことができました。
これはすごい・・・

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坑道は10~12m先で二手に分岐しており、こちらは左側の部屋。
そうです、どちらの坑道も進むとすぐに長方形のホールが現れたのです。
左側の方で約4X5m、右側の方はそれよりやや大きく約5X6mといった感じ。
天井はどちらのホールも高く、2.5~3mありました。
右側のこのホール、よく見ると中央に2m四方の、コンクリートの水槽のようなものがあります。
あちこちに支保工や坑木が散乱し、往時の熱気が伝わってきます。

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今度は右側のホールへ行ってみます。

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『金銀山史の研究』小菅徹也著(高士書院)に、「・・・益坑ヒの西部は一体に鉱染鉱床と称するより、むしろ細脈分岐結合せる網状鉱床にして、目下判明せる幅員は約100mにわたり、細脈中に20グラム乃至80グラム程度のもの各所に介在す」とあります。
網状鉱床で思い出したのですが、猿田川の支流沿いにあったと言われる三面鉱山はやはり金を採掘していた鉱山として日本金山誌に書かれています。
引用します。
「鉱床は主として粘板岩中の網状鉱床で、部分的には鉱層状を示す。(中略)千畳敷坑は網状鉱体で、掘り跡は20mX20mの大空洞を形成している。」
なので、この坑口の鉱体も網状鉱床であり、従って掘り跡は四角いホールのような大空間となったと考えられるのです。

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ホールの天井にはコウモリが群生していました。
まだお眠りのようです。

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『金銀山史の研究』によると、大沢金山(=大沢鉱山)の主坑は益坑ヒであると書かれています(昭和13年当時)。
また、昭和12年から18年まで稼業した㈱大沢金山鉱業の取締役兼鉱山長であった成井氏は、「当社稼行の当初は、高品位鉱石の抜掘乃至箱掘をなす半面、低品位鉱石は250ポンド5本建及び350ポンド5本建搗鉱機(とうこうき)2台を使用し、60メッシュの網目を通しネコ流し比重選鉱を行い、粗鉱と共に尾去沢鉱山に売鉱せしが・・・」と述べています。
すなわち、このホールではまさにネコ流しが動力を用いて行われていたのではないかと。
この坑口が益坑ヒであるかどうかは情報不足でなんとも言えないのですが、ぼくがGPS機器を使って作成した坑口マップによると、この坑口は東西に長い大沢鉱山の区域のほぼ中心に位置するのです。
個人的にはこれこそが益坑ヒではないかと思っていますが、どうでしょう?










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