黒崎鉱山探検記 [鉱物 (阿賀町・黒崎鉱山)]
深戸鉱山の近くの黒崎鉱山を探検するにあたり、航空写真大作戦を敢行しました笑
今年に入ってから何かとご指導を仰いでいる専門家のY氏によると、1940~60年代の航空写真が最もズリなどが映り込んでいる可能性が高いとのこと。
黒崎鉱山もいろいろ調べてみたのだけど、「新潟県鉱業の趨勢」(1952)に名前が出てくるのと、一部の地質図に場所が記されていることぐらいで、沿革や鉱産物、地質などの詳細は知ることができませんでした。
探索するならやはり坑口を見つけてみたいので、その場合ズリを昔の航空写真から探すのは有効な手段。
そこで今回、おそらくズリだろうと思われる、白く写っている谷を目指して登っていきました。
驚くべきことにうっすらと踏み跡も残っており、それを辿っていくとズリと思われる鉱石がごろごろしている谷間へ出たのです。
あとはこの斜面を登っていくのみ。
かなり登ったところで、ようやく坑口が出現。
思ったより大きかったので、疲れも吹き飛びました。
内部は10cm弱滞水していたので侵入しませんでしたが(この日に限って革製の結構いい値段がした登山靴を履いていったので、水没させたくなかった)、かなり長さがあります。
次回の案件ですね。
上へ登るにつれ、あちこちにこのような岩場が出てくるようになりました。
深戸鉱山と地質的には酷似しているようです。
そして2つ目の坑口出現。
ズリの延長線上に出てきました。
入口がちょっと複雑な構造をしており、いきなり狸掘り跡も上の方に出てきます。
内部はさらに立体的な構造となっており、進めない坑道や採掘箇所も多かったのですが、それでも30m以上は歩けたと思います。
主坑道は途中から斜坑となって伸びていました。
幅がかなり狭かったのでここで引き返しましたが、どのくらい先まで続いているのか検討もつきません。
もう一本の枝坑道の終点。
こちらもまだ続いていると思うのですが、粘土状の白い土が堆積しており、ここで閉塞していました。
とある壁面。
3つ目の坑口は2つ目のそれのすぐ上にありました。
いきなり立坑となっていました。
おそらく2つ目の坑口とつながっているものと思われます。
3つ目の坑口近くで見かけた水晶クラスター。
深戸鉱山周辺も針水晶しかありませんでしたが、たとえ短く細くとも、このように柱面が発達している水晶は下越地方では珍しく、とても新鮮に見えました。
今年に入ってから何かとご指導を仰いでいる専門家のY氏によると、1940~60年代の航空写真が最もズリなどが映り込んでいる可能性が高いとのこと。
黒崎鉱山もいろいろ調べてみたのだけど、「新潟県鉱業の趨勢」(1952)に名前が出てくるのと、一部の地質図に場所が記されていることぐらいで、沿革や鉱産物、地質などの詳細は知ることができませんでした。
探索するならやはり坑口を見つけてみたいので、その場合ズリを昔の航空写真から探すのは有効な手段。
そこで今回、おそらくズリだろうと思われる、白く写っている谷を目指して登っていきました。
驚くべきことにうっすらと踏み跡も残っており、それを辿っていくとズリと思われる鉱石がごろごろしている谷間へ出たのです。
あとはこの斜面を登っていくのみ。
かなり登ったところで、ようやく坑口が出現。
思ったより大きかったので、疲れも吹き飛びました。
内部は10cm弱滞水していたので侵入しませんでしたが(この日に限って革製の結構いい値段がした登山靴を履いていったので、水没させたくなかった)、かなり長さがあります。
次回の案件ですね。
上へ登るにつれ、あちこちにこのような岩場が出てくるようになりました。
深戸鉱山と地質的には酷似しているようです。
そして2つ目の坑口出現。
ズリの延長線上に出てきました。
入口がちょっと複雑な構造をしており、いきなり狸掘り跡も上の方に出てきます。
内部はさらに立体的な構造となっており、進めない坑道や採掘箇所も多かったのですが、それでも30m以上は歩けたと思います。
主坑道は途中から斜坑となって伸びていました。
幅がかなり狭かったのでここで引き返しましたが、どのくらい先まで続いているのか検討もつきません。
もう一本の枝坑道の終点。
こちらもまだ続いていると思うのですが、粘土状の白い土が堆積しており、ここで閉塞していました。
とある壁面。
3つ目の坑口は2つ目のそれのすぐ上にありました。
いきなり立坑となっていました。
おそらく2つ目の坑口とつながっているものと思われます。
3つ目の坑口近くで見かけた水晶クラスター。
深戸鉱山周辺も針水晶しかありませんでしたが、たとえ短く細くとも、このように柱面が発達している水晶は下越地方では珍しく、とても新鮮に見えました。
2024-04-08 21:29