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八前沢銅山へ [鉱物 (弥彦山周辺・八前沢銅山)]

3日、初めて弥彦山山麓の八前沢銅山へ行ってきました。
2月2日の記事でこの銅山近くの露天掘り跡を見つけ、記事にしていますが、坑口を訪ねるのは今回が初めてです。
その前に整理しておきたいのですが、似たような読み方(ハチマイ、ハチマエ)をする鉱山名が大きく二つあります。
ひとつは八前沢(or 八枚沢)、もうひとつは鉢前。
そもそも間瀬銅山に関する資料は乏しく、中でも最も詳しく書かれているそれは1954年発行の”間瀬郷土史”でしょう。
岩室村史も広く読まれていますが、多くは間瀬郷土史の焼き直しなので、興味ある方はぜひ間瀬郷土史を読まれることをお勧めします。
ところが、探せばわかるのですが、この本どこの図書館にも置いていないんです。
2ヶ月前、やっと新潟県立図書館にあることを知り、必要箇所をコピーしました。
といっても、普段は一般公開されていない書架の方に収蔵されているんです。
しかし係員にいえば持ってきてくれますし、コピーを取ることもできます。
それ以外では、間瀬銅山は新潟県地質図説明書でも無視されているし、学者の論文にも取り上げられていないため、本当に資料がないんです。

前置きが長くなりましたが、間瀬郷土史並びに岩室村史には間瀬銅山グループ?である赤滝、太刀川、鉢前、間瀬の4つの銅山の位置を記した略図が掲載されているのですが、この略図が曲者なのです。
鉢前も太刀川も場所が間違っているよと指摘しているのは、これら主要鉱山全てを訪れたHP「ミックンのつぶやき」のミックン。
鉢前銅山の場所はそこじゃないと言っている彼の根拠は、「日本の鉱山文化」(国立科学博物館)に掲載されている絵図、及びその説明文が現在の八枚沢を示しているというもの。
(注:この絵図は明治10年、第一回内国勧業博覧会に出品されたもの。ちなみに、ぼくもこの本を買いました。)
一方、間瀬郷土史における鉢前銅山の場所は正しく、八枚沢沿いにあった銅山は別物であると述べているのは、”八前沢銅山を尋ねて”という小文で、自身の平成15年における探索で7つ坑口があることを明らかにした小林孝氏(弥彦郷土誌・第19号)。
ここでツッコミを入れれば、小林氏はあとがきの中で「弥彦銅山と間瀬銅山、鉢前銅山と八枚沢銅山とが混同されやすく・・・」と書いていますが、その根拠は示していません。
そして間瀬郷土史にツッコミを入れさせてもらうと、p93における各銅山坑道略図で間瀬銅山、赤滝銅山、太刀川銅山、そして八前銅山の絵図を取り上げているのですが、p92での全体の略図では鉢前銅山と書いており、単語の統一がなされていません。
(もっとも、小林氏も八枚沢と言ってみたり八前沢と言ってみたり、統一がされていないのですが。)
そして、p93における絵図で”至 麓村”と書いているのですが、p92で場所が正しいならそっち方面に麓村はないのです。
これが八枚沢沿いにあるとなると、方角的には整合性が取れるのですが。
また、p92における場所が正しいとなると、鉢前銅山は深が沢沿いにある間瀬銅山の主要坑口と重なってしまうことになります。
なので、p92の略図は誤りであり、鉢前銅山はその表記にバリエーションがあるものの、基本的には雨乞山北部の八枚沢沿いにあったと解釈するのが合理的だと思います。

さて、今回のスタート地点は弥彦山八枚沢登山口駐車場。
まず歩き始めて閉口したのが、ボサとヤブの酷さ。
踏み跡はうっすらとですが一ノ滝までは残っています。
しかしながら遅々として進みません。
また、スタート地点より約450mで中の滝が出てくるのですが、高巻きを余儀なくされました。
そんなこんなでUターン地点に辿り着いた時、既に1時間半近くが経過していました。

IMG_1662.jpg

ぼくは最初の2つの坑口を訪れただけなのですが、場所は小林氏の図と合っています。
写真は”一の坑口”。
小林氏の距離表示を借りると、ここまで370m。
沢の右岸、やや高いところにあります。
最初通り過ぎてしまい、いったん引き返してやっと見つけました。
沢からこの坑口は見えないんです。
ただ、地形をよく観察するといかにもそこに坑口がありそうな雰囲気バンバンのところがあったので、そこへひと登りしたらやっぱりそこにありました。

IMG_1664.jpg

奥行きはなく、内部は水没状態となっています。
帰宅して改めて”ミックンのつぶやき”の鉢前銅山のページを見て気づいたのですが、この坑口はミックンのHPで紹介されている写真と同じ場所ですね。
実は実際に訪れるまで、ミックンが訪れたその場所が八枚沢沿いのこの坑口群であるか確信が持てなかったんです。

IMG_1667.jpg

最初の坑口を過ぎた辺りから本格的な沢歩きとなります。
そして、ほどなく最初の大きな滝(中ノ滝)が現れました。
ここは右岸を高巻き。
最初の取り付き部が悪かったですが、一応踏み跡は残っており、なんとか越せました。
しかし、その先もひたすらヤブとボサが続きます。
見通しが悪く、沢歩きの快感はあまりありません。

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スタート地点から約600m、二つ目の坑口が左岸に現れました。
実は行きは気づかず、通り過ぎてしまい、帰りに見つけました。
ところどころ沢はボサに覆われているため、よほど注意しないと坑口を見逃してしまうのです。
奥行きは25m前後あると思います。
今回明るいLEDライトを持っていき、ビーム光にして照らしてみたら思ったより奥が深かったです。
一応外付けのストロボを装着して写真を撮っていますが、全くストロボ光が最奥部まで届きません。
高さは低く、先へ進むには匍匐前進が必須。
10cmくらい水が溜まっており、入り口で写真を撮るだけにとどめました。

IMG_1673.jpg

これがUターン地点の一ノ滝(スタート地点から700m)。
落差は2段合わせて25~30mはありそう。
踏み跡はこの滝の手前で途切れました。
高巻きするならここから20mちょっと戻って、右岸をよじ登るしかないのだけど、帰りのことを考えるとザイルはあったほうがいいです。
てか、ザイルなしでここから先へ進むのは無謀であると判断。
体力もかなり消耗していたことだし、藪こぎで辟易していたのでここで撤退しました。

IMG_1677.jpg

一ノ滝の少し手前にあった露天掘り跡。
滝の落ち口の左岸側、直線距離で50mほど先の小沢に黒い坑口のようなものも視認できましたが、すでに撤退モードに入っていたので、登って確かめることはしませんでした。

それにしても、ミックンといい小林氏といい、あの滝を高巻きしてさらに上流へ行ったわけですよね。
ひたすら尊敬します。
そして、明治~大正時代(江戸時代の元禄期には既に開発されていた可能性も高い)にこれらの坑口で働いていた坑夫の人たち、やはりすごいです。
先日、夏目漱石の小説「坑夫」を読み終えたばかりなのですが(村上春樹の海辺のカフカで取り上げられていたため、読んでみたくなった。足尾銅山が舞台でもあるし)、匍匐前進で進まなければならない二番目の坑道を目の当たりにすると、坑夫の主人公が地底へほうほうの体で降りていった下りを思い出し、身が引き締まる思いがしました。




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