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石切山鉱山を極める [鉱物 (胎内市)]

29日、記憶が薄れないうちに再び石切山を訪れました。
今回は本来の坑口、つまり中条町教育委員会の古い案内板が立っている大洞窟を目指しました。
そして、周囲に大きな岩場があれば併せてそこを訪れるつもりで。
カウントの仕方にもよると思いますが、十数箇所あるという洞窟をいくつまで発見できるか。

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旧登山道を登っていくと、最初に現れる採掘場跡がここ。
おとといアップした記事の洞窟は、すべてここより下部に位置しております。
右手奥の暗い空間は斜坑の入り口で、奥があるのです。
奥の洞窟へは右側から斜面をトラバースし、回り込んで行くことが可能です。
しかし、そこも急な角度で下へ落ち込んでおり、洞窟内部へ侵入するのは難しそう。
ということでスルーし、上へと山道を上ります。

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ほどなく、右手にこんな岩場が見えてきました。
この日はGPS機器を持っていき、ログを取りました。
帰宅後歩いたルートを地図(カシミール3D)でチェックすると、くまなく歩いたつもりが、この岩場の向こうにどうもさらなる岩場が連続しているようで、ちょっと悔いが残りました。
この岩場にも洞窟が見えていますが、取り付きまでいやらしい斜面が続くのでここもスルーしたのです。

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ということで、数年ぶりにやって来ました。
大洞窟はかなり複雑な構造をしており、これは最上部の洞窟。
中央下に暗い空間が見えますが、ここは今回も行けませんでした。
かなり広い空間となっているのですが、落盤の恐れがあるのと(本能的にそう感じる)、侵入するにはできれば10mほどのトラロープがあったほうがいいので、今回も無理をせず写真を撮るだけに留めました。

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最上部の洞窟を左側から回り込んで写しました。
今の時期限定の構図です。

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さっきの写真を撮った場所の手前に高さ60cmくらいの窓があり、そこから内部を写してみました。
この空間こそ、入りたくても入れなかった秘密の空間なのです。
こちらの窓からも腹ばいになれば入れそうですが、服を汚したくないのでパス。

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最上部の洞窟から一段下の洞窟です。
この辺が一番美しいと思います。
ギリシャ神殿そのものです。
尚、地質は全面的に凝灰岩ないしは凝灰角礫岩で占められていました。
他の鉱物、一切なし。

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下山途中で、もう一箇所新規の洞窟を探検。
ここも登山道からやや離れています。
背後に屹立した岩壁があり、そこの底部にも採掘跡がありました。

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さっきの写真の岩壁で、右側の底部に狭い洞窟らしきものが見えるので行ってみました。
これはその入口から内部を写したもの。
ある程度の大きさの岩場だったら、もれなく採掘跡が残っています。
メインの大洞窟を幾つとして数えるかで変わってきますが(ここでは3としてカウント)、おととい見つけのが4箇所だとして、この日は大洞窟以外に5箇所の洞窟を発見しました。
ですから、合計12の大小の洞窟を見つけたことになります。
2枚めの写真の岩場は遠目で見ただけですが(ここでは、この場所は1としてカウントしています)、この奥にさらに岩場が拡がっている可能性が高く、となると洞窟(=採掘跡)がもっとあるかも。
これで、たま~にでいいので水晶(玉髄)などの透明系の鉱物が見つかると俄然やる気が出るのですが・・・

実はこの日、この場所を訪れる前に、昭和30年代なかば、燐灰ウラン鉱を試掘したという沢へ行ってみたのです。
その論文には沢の名称が書かれているのみで、具体的にどこで試錐したのかはわかりません。

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1/2.5万地形図に記載の堰堤からその先に、計4つの堰堤が作られていました。
これが最奥部にある堰堤なのですが、割と最近作られたっぽいですね。
沢の転石を調べてみましたが、たま~に石英(白or赤褐色)があるのみで、そもそも転石の数が少ないので調査らしい調査はできませんでした。
この沢はH川の支流であり、本当は本流に行きたかったのですが、林道から本流の最終堰堤(大きな砂防堰堤です)へ降りていく道が完全に自然に還っており、猛烈なヤブになっていました。
なので、この支流の方でお茶を濁した次第。
ウランはもういいかな・・・






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