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倉谷鉱山・中切坑と本坑中段 [鉱物 (阿賀町・倉谷鉱山)]

5月31日と6月1日、2日連続で倉谷鉱山へ行ってきました。
まだ上部1/3のエリアを探索したことがないのでそこを探索し、できれば坑口を見つけることを目的に。
倉谷鉱山の沿革をまだ述べたことがなかったので紹介します。

同鉱山のスタートは大正5年。
久原鉱業、倉谷鉱業など鉱業権は点々とし、最終的には合同資源産業に移ったのが昭和41年。
合同資源産業㈱は今でも存続している会社で、現在は社名が合同資源㈱となっています。
同社のHPを見ると、昭和61年まで全国各地の主に金銀を主とする金属鉱山事業を展開してきたとあります。
補足すると、同社は令和4年10月、新社屋の一角に鉱石資料館を開設。
全国830鉱山の鉱石標本を約1050点、国内外の鉱物約200種類の標本約300点を展示しているそうです。
これは見たい!
会社の場所が千葉県の、わりと太平洋に近い町なので日帰りで行くのは厳しいですが、いつか必ず。
倉谷鉱山の沿革に戻りますが、倉谷鉱業に鉱業権が移転した昭和36年には引き続き探鉱がなされたとあるので、少なくとも昭和36~41年の間は稼働していたと思われます。

次に鉱床について。
倉谷鉱床は、倉谷凝灰岩中に胚胎する細脈網状鉱染状の金・銅鉱床。
主要坑口は、本坑、本坑中段、中切坑、立坑中段、大切坑の5つ。
中心部にある富鉱部の走向延長は約60m。
鉱体幅は最大20m、平均で5m、上下に60mある。
鉱石鉱物は自然金、黄銅鉱、黄鉄鉱、少量の方鉛鉱、閃亜鉛鉱、輝安鉱で、二次的に斑銅鉱、輝銅鉱、自然銅。
脈石鉱物として、石英、緑泥石がある。

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中間部のズリで見られる鉱物。
海綿状の石英と黄鉄鉱が主流。
鉱山入り口の斜面と比較すると、かなり流紋岩が見られるようになります。
鉱床の母岩となっているのは、倉谷凝灰岩中の緑色葉層状凝灰岩。
鉱床周辺には倉谷凝灰岩および内出沢凝灰岩が広く分布し、それらを貫いて流紋岩が見られる、とある文献に書いてあるのですが、それらの記述がよくわかりました。

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選鉱場近くの沢で、年代物の瓶を発見。
半分埋もれていたので取り出しました。
現代ではこのような色のガラス瓶はほとんど見かけないような・・・

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沢の一角に、銀竜草(ギンリョウソウ)の群生地がありました。

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中間部の斜面ですが、この先にも何かありそうです。
体力温存のため、こっち方面の探索は断念。

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ここから先は今回が初探索の領域。
早速、木製のトロッコ軌道を発見。

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その背後に坑口。
おそらくこれが中切坑だと思います。

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立派な支保工が確認できました。
大量の土砂の流入&陥没で埋まっていますが、どうやら立坑のようです。

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トロッコ軌道はこの大斜面を走っていたのでしょうか。
彼方に選鉱場が立っていたと思われる広場が見えます。
わかりやすい構成です。

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中切坑から上部は傾斜がきつくなりますが、なんとなく踏み跡とまではいかないまでも人が通ったような痕跡が残っていたので、それを辿っていったら坑口が現れました。
この2つの坑口は隣り合っており、内部で繋がっているようでした。
やはり土砂の流入が激しく、侵入は不可能でした。
今回3つの坑口を見つけたのですが、GPSで記録したそれらの位置を俯瞰すると一直線上に開口されていることがわかります。
坑口の名称はそれらを踏まえ、ぼくの判断によるものです。念のため。
上の写真の坑口は、本坑中段だと思われます。
それだと納得が行くのです。
(本坑口の記事は明日投稿予定)

※参考文献:日本金山誌(第三編 東北)




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