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伝説の三角沢坑へ (1) [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

草倉銅山の発見は江戸時代の元文4年(1739)にまで遡ります。
津川の茂左衛門、佐四郎、金八郎の3人が、小字三角沢において鉱脈が露出しているのを発見したのが始まり。
文政10年(1827)から嘉永5年(1852)までが、いわば第一次黄金時代。
その後は一時的に廃れますが、明治8年(1875)、古河市兵衛率いる古川鉱業に経営権が移ると再び活況を呈するようになります。これが第二次黄金時代。
さて、第一次黄金時代を支えたのは三角沢の鉱脈です。
恥ずかしながら、昨年まで三角沢と草倉沢を混同していたので、三角沢沿いに残っている元祖の坑口はまだ訪れていませんでした。
21日、満を持して伝説の三角沢へ。

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本坑エリア手前の林道が大きく崩壊し、しばらく通行止めになっていたのですが、崩落箇所が復旧されました。
まだこの手前150mの辺りで通行止めになってはいますが、近日中に通行止めは解除になるのではないでしょうか。

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これが娑婆の見納めです。
この先は道がほぼ原始に帰しており、空気感がガラリと変わるのです。
鉱夫の人たちも見晴らしのいいこの広場で覚悟を決め、仕事場へと向かったことでしょう。

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三角沢へ出ました。
旧鉱山道が三角沢を横断する所で、左右両岸に石垣の基礎が築かれています。

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橋の下の転石を調べていると、草倉銅山で初めて黄銅鉱を見つけました。
草倉銅山の鉱石は黄銅鉱。
時に黄鉄鉱や閃亜鉛鉱を伴います。
二次鉱物は赤銅鉱、自然銅を生じ、脈石鉱物は石英、緑泥石、方解石、粘土など。

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同じ場所でかすかにピンクがかった石英発見。
針水晶はあちこちで見かけますが、意外と石英の塊は少ないです。
これも草倉銅山エリアでは初の発見。

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坑口まであと数メートルというところで、この地にしてはやや大き目のチビ水晶が出てきました。
長さ1~1.3cmくらいあります。そんなのがビッシリ。

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そして念願の坑口出現。
思ったより大きく、その迫力に圧倒されました。
左右両岸に坑口が控えており、これは左岸の坑口。

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内部の地形は決してシンプルではありませんでした。
入ってすぐ、右に長い枝坑道が分かれ、主坑道は左側に砂と粘土の斜面を従えながらさらに奥へ続いています。

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天井は高く、支保工が残っています。

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斜坑とまではいかないまでもかなりの傾斜で下に下っているので、ここまでとしました。
本当はじっくり地質を観察するつもりだったのですが、右岸の坑口にも入ってみたいので、ざっと全体の地形を把握したところで外界へ戻りました。





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