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とことんディープな草倉銅山 (2) [鉱物 (阿賀町・草倉銅山)]

不動沢は、昔の文献では舟内沢(=船内沢)と明記されています。
ただし、上流部は草倉沢と名を変えていますが。
草倉銅山は大正元年の頃から事業を縮小、大正5年(1916)には舟内沢で採掘していたそうです。
完全閉山の大正9年(1920)の直前には東山鉱区が有望とされましたが、本格的に探鉱されることなく、その長い歴史に幕を下ろしたのでした。
ぼくが今歩いているのが、まさに舟内沢の核心部。
もっと下流には滑滝鉱区があり、やや上流の右岸の河岸段丘には通洞坑にかけて鉱山集落が形成されていました。
さて、昨日の記事で最後に見た坑口からいくらも歩かないうちに、前方に大きな坑口が見えてきました。

IMG_3469.jpg

かなり大きいです。
駆けるように近づいてみました。

IMG_3472.jpg

風格があります。
堂々たる坑口です。

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坑口内部の様子です。
露天掘りと坑道掘りの合せ技で採掘していたと見られ、単純な構造ではありません。
しかし、ある程度から奥は崩落&岩石の堆積で閉塞しており、長い距離は歩けませんでした。

IMG_3471.jpg

坑口を出て対岸に視線を移すと、思わず声を上げました。
なんだ、あれはと。
こちらも大きいです。
写真では伝わりませんが、大岩壁が左右に何十メートルも拡がっており、ところどころ坑口のような穴や露天掘り跡のような地形が見えます。
帰宅後、例の明治19年の古地図を見てみると、ここへ至る前に発見した坑口の場所、そしてこの場所はどちらも鉱脈ありとして赤線で描かれている場所だったのです。
やはりこの辺りが草倉銅山史上最後に稼業した区域だったのでしょう、何事につけスケールが大きいと感じました。



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