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自形の胆礬結晶と霰石など [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]


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1月20日、昨年10月7日に初めて入った明治時代の古い坑道へ入ってみました。
場所は間瀬銅山の本坑エリア上部。
非常にわかりにくい場所にあり、今回も見つけるまで20分近く右往左往してしまいました。
昨年10月に入った時は四つん這いにならないと前に進めず、従ってカメラも持たずに空身で侵入したのです。
どうせ20mほどで閉塞しているだろうという思いもあったし。
ところがあに図らんや、坑道はどこまでも続いており、なかなか終わりが見えてきません。
そればかりか、壁面にはところどころ白い霰石がびっしりと付いています。
10数メートル間隔でこのように上層階も採掘されており、圧倒的な岩の芸術美に明治時代の鉱師たちの心意気と感性の高さを感じます。

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60~70mほどで坑道は下り坂となり、この先は水没しています。
前回はここで引き返したわけですが、水没地点の側壁に見事な水色のフローストーンが付いていたので、その写真を撮りたくて今回ここまで再訪しました。
この坑道には霰石も胆礬もあるのだけど、質感から言うと胆礬のような気がします。

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そして、ふと天井を見上げると、ちょっとした窪みに真っ青な鉱物が・・・
手が届かないので、写した画像をピクセル等倍で鑑賞しての感想ですが、どうやらこちらも胆礬のようです。
色合いだけだったら青鉛鉱に似ているのですが。

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一方、こちらは確実に霰石かと思われます。
赤谷鉱山のあれと同じ質感だし、こちらも蛍光現象を示します。
硫酸塩鉱物は蛍光しないので、蛍光するということは炭酸塩鉱物である証。
ただし、70m前後のこの坑道で、このような結晶は3つか4つしか見かけませんでした。
10月に訪れた時はもっとあったと思うんですが、元旦の地震のせいで天板が一部崩れており、その上に乗っかってた岩石が床に落ちていた箇所があったので、もしかしたら埋もれてしまったのかもしれません。

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さて、20日はさらなるサプライズが待ち受けていました。
帰りに同じような大きさの坑口を見つけてしまったのです。

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こちらも大正時代ではなく、明治時代の坑道のようです。
やはり天井が低く、身長180cmの自分では四つん這いにならないと進めません。

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坑内の地質は先の坑口と全く同じで、あちこち白い霰石で覆われています。
この霰石も蛍光するのです。
水色のそれより強めに蛍光します。

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この坑道も予想以上に長く、すでに70~80mは進んできていると思うのですが、終わりが見えません。
しかし、この先15mで崩落しているようです。
這いつくばればその先へ抜けられそうですが、そこまでのリスクは背負いたくないのでここでUターン。

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持ち帰った石3個。
こぶし大サイズのこれは胆礬。

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マクロレンズで撮った画像をトリミングしてみました。
板状の透明な結晶は自形の胆礬。
どの程度珍しいのか珍しくないのか、ぼくにはよくわかりませんが、本来の結晶の形を愛でるのは本能的な快感を覚えます。

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こちらは地面に落ちている奴を拾ったのですが、おそらく霰石でしょう。
こちらもピクセル等倍で見ると、赤谷のそれと同じパターンが認められます。

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こちらが蛍光写真。

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もっときれいな結晶を持ち帰ればよかったのですが、モコモコ度の大きさを優先しました。

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さすがに、汚れている部分は黒いですね。