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大毎金山再び [鉱物 (村上市・大毎金山)]

4回目となる大毎金山(村上市)調査へ行ってきました。
大毎金山の歴史をかいつまんで説明します。
正確な開山の日付はわかりませんが、慶長2年(1597)の史料(越後国瀬波郡絵図)に記載があることから、歴史の古い鉱山であることは確かです。
大正2年に休山。
尚、過去記事(2020/04/10)で、林道沿いに古い機械が散乱していたので、ひょっとしたら昭和に入ってから再び採掘が行われたのではないかと書きましたが、どうやらそれらの機械は林業用のそれだったみたいです。
ですから大正年間に操業を終えたと見るのが妥当でしょう。
もう一点、訂正があります。
2020/05/05の記事で、山中に横たわる墓碑を集落があった証拠だと書きましたが、それらの墓碑は落盤事故の犠牲者を弔うためのもので、飯場の住人の墓碑ではないようです。
墓碑の数は10基ありますから、かなり悲惨な事故だったようですね。
ちなみに、墓碑の建立年代は明治時代とのこと。
※参考文献:佐藤貞治「大毎・大沢・沼・机差金山の調査報告」

1回目の調査でマンニモ山南麓、標高約420m付近で3つの坑口が並んでいるのを見つけたのですが、そのとき入り口まで行ったのは一番左の坑口だけで、右の2つは多分地形的に坑口があるだろうと想像しただけで、実際には未確認のままでした。
今回それら2つの坑口の入口へなんとか辿り着くことができ、坑口の大きさを確認することができました。

IMG_4900.JPG

最初の記事では坑口が3つあるようだと書きましたが、実際には全部で4つありました。
これは右から2番めに位置している坑口。
一番左端のそれを除き、間口の大きさはどれも似たようなもので、8~9割方土砂で入り口が上端部を除きふさがっていました(一番右端のそれは完全に水没)。
多分この坑口も、本来は間口の高さが1m前後あったのではないでしょうか。

IMG_4910.JPG

坑口上部の岩壁。
地質は金・銀などを胎胞する、珪質化を伴う安山岩。

IMG_4917.JPG

これは一番左側に位置する坑口。
結局これが最も間口が大きかったです。
ここも土砂の堆積が激しいですが、右側の方は高さが50cmほどあり、腹ばいになればなんとか潜り込めます。
意を決し、坑道の奥行きを確認すべく泥だらけになりながら潜り込んだのですが・・・

IMG_4913.JPG

2m先で行き止まりでした。
左手にもこの半分くらいの空間があり、入口に近い側でつながっています。
写真には写っていませんが、左側の入口付近には鉱石が堆積していました。
大毎金山の金の脈幅は0.15~0.9mmとのこと。
ぼくはちまちました作業は嫌いなので、砂金をこれらの鉱石から採取しようという気にはなれませんが。

「・・・金山遺構はマンニモ山、十貫山の二つの山にかけて分布する。マンニモ山(450~460m)の山裾から斜面の多くの坑道は25~30mの奥行きがあって、人が通れる高さ・広さがあり、その間には多数の枝坑道もある。」
これは佐藤貞治氏の調査資料からの抜粋です。
また、大毎金山の最後の鉱業権者となった岸野氏の資料には、明治45&大正元年度現況の坑内実測裁面図があり、そこには7つの坑道が記載されているそうです。
ぼくはマンニモ山の周囲を、おおむね標高400~410mのレベルを、北の一部を除きぐるりと一周しているのですが、一つの例外を除き、まだ坑道の延長が20m以上ありそうなそれは発見できておりません。
4月に探査を開始したときは雪解け直後だったので林内の見晴らしもよく、上の斜面もチェックしたつもりなのですが・・・
もっとも、どの坑口も間口は狭いのでよほど近づかないと気づかない可能性もあります。
今年の晩秋か来春には、標高430m前後のレベルをトラバースしながらもう一度坑道探しをしてみたいと思っています。






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