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三宜町遊郭を偲ぶ [旧市街(新発田市)]

おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり
(高杉晋作 辞世の句)

28日も前日に引き続き、新発田の遊郭跡地をさまよい歩いてきました。
旭町遊郭は明治37年の大火で壊滅し、その後当時は野原だった伊勢堂地内(現・御幸町2丁目)が集団移転の候補地として挙げられたのです。
しかし、近隣の地主の多くが土地の提供を拒んだため事業は難航。
そんななか、伊勢堂地内で最大の土地所有者であった中村平吉氏が必要な面積33,400平方メートルを買収し、業者には新しい土地の購入に際し、購入資金の月賦返済を認めたのでした。
三宜町遊郭誕生の最大の功労者・中村平吉氏のお墓が中村家の菩提寺である福勝寺にあるのですが、大正15年建立の墓碑の碑文に、当時の貸座敷業者19名の連名が刻まれています。

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福勝寺は我が家の菩提寺でもあるので、墓参りついでにくだんの墓碑を先日探してみました。
正門をくぐってすぐ右側にその墓碑はありました。
予想以上に大きく、立派なものでした。

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右側に回り込むと、碑文が刻まれている壁面を見ることができます。
ぼくが昨日の記事を書くにあたり参照した、松田時次氏の「新発田の廓を語る」という小文に碑文の全文が書かれてていますが、ここでは省略(実際はかなり摩耗しており、判別不能の文字が多い)。
貸座敷業者の名称が下の方に書かれており、それはこの写真からも判別できると思います。
左下から”花菱楼、群亀楼、遊亀楼、山田楼、市川楼・・・”と書かれてあります。

2014年1月10日のブログ記事にも詳述しましたが、今回改めて図書館で資料を漁り、見落としている点がないかチェックしました。
大正2年10月に作成された三宜町朱印全図がやはり現存する唯一の見取り図なのですが、かなりデフォルメされているせいで現在の住宅地図にうまく合致しないのが、当時(2014年1月)記事を書くにあたり最も気になった点でした。
それを解決するには大正~昭和30年代前半までの間に作成された市街図を入手する必要があるのですが、今回も新発田歴史図書館の職員さんの手をお借りしたにも関わらず、新たな地図を発見することはできませんでした。
そこで、前回も使った”新発田町是”(大正6年刊)の附図をもとに、もう一度注意深く両方の地図を重ね合わせてみたのが次の図です。

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どうしてもうまく重ならないので、三宜町朱印全図は脇に掲載しました。
ベースとなっている地図は上が北ですが、三宜町朱印全図の向きをそれに合わせると大幅に道路の角度に違いが生じるのです。
さらにこれに現代の市街図を重ねてみると・・・

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意外や、”新発田町是”の附図上部に記載されている、東西に伸びている2本の幹線道路とそこから南西に伸びている、三宜町へと通じる道路が現代版市街図とまあまあ合致しました。
これならなんとなく地形の変遷がわかりますね。
幾つか明確なチェックポイントがあり、ひとつは池が2つあったこと。
大きな方の池が、弁天池もしくはひょうたん池と呼ばれていたらしいのです。
それが五叉路の交差点の近くにあったこと、を近所に住む知人のひいおばあちゃんが証言しています。
もうひとつ、次に掲げる古写真左側に写っている盆栽仕立ての松が現在も同じ場所にあり、その松の位置を定めることで地図の他の場所の位置関係も相対的に類推できるのです。

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2014年にも写しましたが、こちらはおととい撮ったばかりの最新画像。
そして、昨夜再度出没、古写真を撮った場所と同じと思わしき場所を推定し、そこから改めて写してみました。

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地図を重ね合わせてみてわかったのですが、戦後新たに作られたバイパス道路より、気持ち南西側に三宜町遊郭街のメインストリートは位置していたようです。

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別な角度から、往時の三宜町遊郭を偲ぶの図。
萬福さんのあたりから中央やや右側奥にかけて、池が縦に2つ連続していたようです。
上の写真左側の道幅の広い道路上に遊郭の建物は立っていたのではないでしょうか。
ぼくが今立っている場所は、おそらく曙があった辺りかと。左隣に招月、細い路地をはさみ、その奥に常磐、初音、若松と妓楼が連なっていたのです。

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正面左奥の鉄塔は、東北電力変電所の施設の一部です。
例の"新発田町是”(大正6年刊)の附図を見ると、当時既に変電所があったことがわかります。
小型車がぎりぎり通ることのできるこの狭い道は、おそらく大正時代かそれ以前からあったのではないでしょうか。
この道はゆるく右にカーブしており、曲がり切ったところが弁天池前。

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さて、上の写真の小道を反対方向へ進むと、ほどなく石佛神社(=稲荷神社)に出ます。
境内右に中世の頃に作られたと思わしき石仏が多数安置されており、そのうちの4体は天明年間(1780年代)由来のものとされていることから、古い歴史を持つ神社であることがわかります。
旧里山讃歌で、石仏神社の写真を撮ったのは2014年9月30日でした。
当時の記事を読み返していて気づいたのですが、路地に立っていた何軒もの古い建物が撤去され、空き地になっていることに気づきました。
変電所の敷地内にあった盆栽仕立ての松の木も数年前に枯れてしまったし、連綿と続いてきた人々の生活の気配がこの地から急速に失われつつあるようです。
それが大いに寂しくもあり・・・


遊郭の情緒、及び小ネタ(山田勝太郎氏の回想より)

※大門の両側に角燈がついていた。各楼の店頭にも六角形の天燈が立っていた。
このランプは夕方になると点き、深夜12時半に消灯した。

※旭町遊郭の頃の娼妓は「おやす」、「おきく」などと本名で呼んでいたが、三宜町時代になるとだんだん芸名(=源氏名)を使うようになってきた。

※娼妓の出身地は中蒲原方面が最も多かった。亀田、酒屋、袋津、早通などの貧農の子女が多く、北蒲原では中条の紫橋とか長浦(現豊栄市)の大月など、それに中蒲原(現豊浦町)の切梅、荒町、紫雲寺の小川、東蒲原の綱木、新屋が主だったという。

※なじみ客は、同じ店の別の妓は絶対に買うことができなかった。

※大部屋の貸座敷業者は、多くの娼妓の他に2~3人の芸者を個人で養成し、雇っていた。
5~6歳の小さい頃から三味線、横笛、太鼓、鼓を仕込まれ、お座敷一本で芸を売る、いわゆる”くるわ芸者”として自他共に誇っていた。町の宴会にも出張することがあり、町芸者とは一線を画し、一座の指導役を努めた。

※毎年8月12~13日になると、日没時から「ドンドン、ドドン、ドンドドン」と遊郭踊りに合わせる太鼓の音があたりに響き渡り、それが聞こえてくると近郷の若者たちは心がうきうきしてくるのを押さえられなかった。
そして夜が更けると、ねじり鉢巻や浴衣着流しの者から、腰にてぬぐい、鳥打帽の者など、町外れの三宜町にぞくぞく集まってくる。
廓の中ではどの座敷の門前も紅灯を競って映え、中央のひょうたん池の周囲は角灯やぼんぼりが松の緑を水面に映して、若者たちの気持ちを一層駆り立てた。
いつも禁足令の籠の鳥(娼妓のこと)も入念に化粧をし、艶を競って馴染みの客や野次馬客と池のまわりをにぎやかに、夜の更けるのも忘れて踊り狂った。
こうして20日頃までの1週間、廓の夜は千客万来の賑やかさで明け暮れるのであった。

参考文献:
「新発田の廓を語る」~松田時次








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旭町遊郭跡をさまよう [旧市街(新発田市)]

本来なら今月27~29日まで新発田まつりだけど、今年はナッシング。
27日夜、それでも賑わいの片鱗を求めて、足は諏訪神社へ向かう・・・

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各町内からの台輪もない。
これは寂しい。
こんなときは人肌が恋しくなるもの。
自然とこのあと、足は旭町遊郭跡(諏訪町3丁目)へと向かうのでありました。

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2017年10月10~11日のブログで新発田に2箇所あった遊郭を取り上げているのだけれど、今回当時(明治30年代なかば)の各遊郭の配置図を現在の市街図にあてはめ、新たに作成してみました。
簡単に旭町遊郭の歴史を説明します。
近代公娼制度の成立は、明治5年(1872)のいわゆる芸娼妓解放令が端緒となったとされていますが、新発田においては少なくとも明治8年頃には居酒屋、茶店、すすり白玉屋などが旭町で営業していたようです。
明治12~13年になると店も増え、私娼の類もあちこちに出没するようになったので当局による取り締まりが行われました。
その際勾留された”新玉楼”の当主・坂井太郎吉氏は、同志をつのって公娼が必要なことを訴え、正式な許可を乞うたのです。
明治4年、陸軍東京鎮台歩兵第8番大隊を新発田城内新築兵舎に迎え入れたのを皮切りに、明治7年には歩兵第3連隊題大隊が、明治17年には歩兵第16連隊が設置され、若い兵隊さんの数が激増していました。
そういった事情も鑑み、当局は旭町を朱印地としての公娼制度を許可したのです。
ここは幕末から調馬場(馬の調教訓練を行った場所)として使われていた場所で、走馬路をそのまま道路にし、17戸の貸座敷業者が軒を連ねました。
明治37年6月3日、不幸にも新高楼から出火。
火は瞬く間に燃え広がり、翫月楼(がんげつろう)・山田楼・群亀楼を残して他は全焼。
上鉄砲町の50数戸と合わせると70余戸が焼失してしまったのです。
その後は、もともと旭町は住宅街であり、住宅街の一角に遊郭があるのはよろしくないと考える人が多く、当時は田んぼと野原だった伊勢堂地内(現在の御幸町2丁目)に集団移転しました。

新しい遊郭は三宜町遊郭を名乗りましたが、こちらは遊郭の中心にあった弁天池が幹線道路建設に伴い埋め立てられ、どの道路は限りなく直線道路として設計されたため周辺の路地も多くが消失し、現在の地形から往時を偲ぶことはできません。
ところが旭町は幕末以来まったくその区画が変わっておらず、ぼくが作成した地図をご覧になるとわかるように、明治時代の配置図をそのまま当てはめることができるのです。
これは奇跡と言えましょう。
昨年から改装工事のため休館してはおりますが、明治37年の火災後、花菱が市内のある屋敷を移築し、しばらくの間営業を続けたという石泉荘が一般公開されています。
石泉荘を含む旧旭町は清水園の南に位置し、歩いても5~6分。
清水園へ来る機会があったら、ついでにここにも足を伸ばしてみてください。

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今、岩名風呂跡を背に立っています。
右側には東京亭、宮城亭と計5つの遊郭が軒を連ね、左側にはみどり屋、舞鶴、花菱がありました。
石泉荘の入り口は当時の花菱の入り口にあたり、右側はしばた川にかかる小さな橋まで古い塀が続くのですが、通りの右側の佇まいは限りなく当時の面影を留めていると思います。
ちなみに、新高楼とえび屋が立っていたところは現在は駐車場になっています。
火元であった新高楼の立っていた場所は、ひょっとしたら今に至るまで建物はないままだったのかも。

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真後ろは新高楼があった辺り。
正面の小道を境に、左側に花菱(現・石泉荘)、右側に若月が立っていました。


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右がえび屋、左に新王(もしくは新王楼)が立っていた通りの入口に来ました。
通りの左側には当時と同じく、計5軒の家が立ち並んでいます。
右側は通りの奥に山田楼があったのですが、現在も山田楼が立っていた場所に家があるだけで、それ以外は空き地のままです。

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新王があった場所には、現在三峰教会の建物が立っています。
建物の作りはほとんど〇〇そのままなので、往時を偲ぶことができます。

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新王をすぎると、しばた川が流れています。
かつては水面に、新王楼~翫月楼に至る5軒の遊郭の照明がちらちらと映えていたことでしょう。

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橋から引き返し、えび屋と新王楼の間の小道を進んでいきます。
古地図には庭園と記されていますが、東側半分に今は建物が立っているものの、広場の西側半分は荒れ地のまま。
この写真は石塀の真ん中あたりで写したものですが、ひょっとしたら明治時代と同じ風景を目にしているのかもしれません。

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右手の建物が立っている場所に、かつては山田楼があったはず。
その奥に白っぽい建物が見えますが、あそこは群亀楼があった場所です。
今日の夜の散策はここまで。

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数年前に写した石泉荘の離れ座敷です。
明治37年6月の大火後、花菱は市内からこの建物を移築させ、旭町で営業を再開しました。
しかしながら前述したように、郊外の三宜町に集団移転した新しい遊郭街にはとうてい叶わず、ほどなく花菱も旭町に見切りをつけ、三宜町へ進出したのでした。
花菱から所有者は新津の製油業で財を成した石崎家に移り、現在に至っています。

※参考文献:
「新発田の廓を語る」~松田時次







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夜の大石ダムで遊ぶ [星景写真(下越)]

8月25日、なんとなく大石ダム方面に遊びに行きたくなりました。
ハヤタカメラさんに改造を依頼したEOS Rが返却されてくるのは9月11日前後。
でも、その頃には天の川が大石ダムのダムサイトから右に切れてしまうっぽいので、もう一度天の川を撮りに行った次第。

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EOS80D + EF16-35mm F2.8L III (共通)

今回もすべて固定撮影です。
低空には若干薄雲が漂いましたが、まあまあいい空でした。

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ダムサイト周辺、何箇所も場所を変えながら様々なアングルで写してみました。
すると、21時半頃、左手の建物(管理等)の部屋の明かりが全部消えました。
おお~、いいじゃんいいじゃん。
画面から切れていますが、さらに左手には駐車場があり、そこには明るい外灯が1本立っています。
そちらは点いたままだったのですが、あと、写真に写っているこの平屋の建物ですね、この内部照明も点いたままです。
とはいえ、肉眼ではそれほど明るさを感じることもなく、暗闇に辺り一帯は支配されます。

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帰りに、数年ぶりに打越(新発田市)の墓地のある丘へ立ち寄りました。
やはりここ数年の間に一気に外灯がLEDに置き換えられたせいか、明らかに明るさが増していました。
箱岩峠ほどではないけど、なんだかなあ・・・です。
まあ、でも二王子岳を一望するロケーションは捨てがたく、長峰原の丘とは別の良さがあるのも事実。
火星とプレアデス星団が印象的です。


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プレアデスへの帰還 [星景写真(新発田市)]

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EOS 80D + EF16-35mm F2.8L III

今、ひとつの魂がプレアデス星団へと旅立った。
ひょっとしたら、あなたも地球へ転生してくる前はプレアデス星団がふるさとだったのかもしれない。
(新発田市打越)



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作業小屋星景 [星景写真(下越)]

勝手に作業小屋星景というジャンルを作りました(笑)。
10日ほど前に県北の棚田へ行った際、どうも椅子を現地に置き忘れきたらしく、ひょっとしてあの椅子佐藤さんのじゃないの?と知人が連絡をくれました。
あ、やっぱりあの場所に置き忘れてきたんだと合点がいき、早速昨日回収しに行ってきました。
ついでに現地で、作業小屋を入れて星景写真をば。

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EOS 80D + EF16-35mm F2.8L III (共通)

すべて固定撮影です。
これは薄明終了前の画像。
薄明終了までいたのですが、このあと薄雲が増える一方だったので、一番最初に撮った写真を採用。
この小屋は特に味があって好きなんです。

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同じ棚田のやや下部に移動してきました。
農道が迷路状態なので、3年も行ってないとどの小屋がどこにあったか記憶が飛んでしまいます。
このあとさらに下の方へ行こうとしたけど、道に迷って早々に退散。

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広域農道へ出て、そこで1枚。
平日の夜は、車は2時間に1台通るか通らないかなので、堂々と道の真ん中から撮っていました。

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最後に全く別な棚田へ立ち寄り、そこで1枚。
薄雲は全天を覆っており、長居はしませんでした。
薄雲が拡散効果を発揮し、適度に恒星が肥大してくれたので、星座がわかりやすいです。
この日は流れ星は3個だけ目撃。
残念ながら、フレームにはひとつも入りませんでしたが。


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夜の大石ダムで試写 [星景写真(下越)]

壊れたEOS 6D Mark IIの代わりに何を買おうか迷った挙げ句、改造を依頼したハヤタカメラさんに500枚しか撮っていない同じカメラが135000円で売り出されているのをお盆に見つけました。
17日までハヤタさんのショップはお盆休みだったので、18日に速攻HPを見てみたら正午の時点でもう売却済になっていました。
気を取り直して、本命のEOS Rの中古の値段をマップカメラさんで調べていたら、やはり美品のEOS Raが273000円で販売されているのを発見。
思い切り予算オーバーになるけど、ピント拡大率30倍は魅力的だし、メーカー修理が効くので長い目で見ると決して高くはないかなと。
今回の故障は、元はと言えばホタルの撮影で小雨の中頻繁に、6回前後使ったのが原因かなと思っています。
メーカー修理に出すにはいったんハヤタさんのところでフィルターを純正のそれにもう一度換装してもらい、それをメーカーの修理工場へ送るという手順になるので面倒くさい。
それに今回は簡単に治らない気がするし、このカメラのダークノイズはちょっと許容範囲を超えていたので、思い切ってミラーレス機に買い換えることにしたのです。
くだんのEOS Raですが、15分後にもう一度商品ページを見てみると、なんと売却済になってしまっていました。
みんな見る目があるなあ・・・
てことで、結局値段のこなれてきたEOS Rの美品中古をマップカメラさんで買いました。
ここでまたひと悶着あり、EFレンズをEOS Rに装着する純正アダプターがどのショップでも売り切れで、1~2ヶ月待ちというのです。
このアダプターがないと、RFレンズを1本も持っていない身としてはカメラを使うことができません。
仕方ないので、半年前倒しでRF 15-35mm F2.8Lを買うしかないか・・・
そのうちシグマやタムロンから一斉にRFマウントのレンズが発売されることだろうけど、それがいつになるかは一切情報が流れておりません。
取り敢えず、ハヤタさんのところに来週早々にEOS Rを送って改造を依頼する。
従って、もうしばらくはEOS 80Dとお付き合いしなければなりません。

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EOS 80D + EF16-35mm F2.8L III (共通)

22日は、次の新月期の撮影で新しいカメラで写してみたいと目論んでいるある場所へ、下見を兼ねて行ってきました。
関川村の大石ダムです。
何年か前にも夜試写しに来たことはあったのだけど、もう一度確かめてみたい幾つかの事項があったので。


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固定撮影(3枚モザイク)です。
30分ほど待機したら少しずつ雲が取れてきて、天の川の輪郭が現れました。
今も夜間はダムサイトの外灯は点いていないし、天の川が立ち上がってくる位置関係も理想的。
9月までなら大石ダムのダムサイトは、天の川を湖面と絡めて写すのにとても良い場所だと実感しました。
次の新月期までにはカメラが改造から帰ってくることを期待。

※追記
カメラのISOとダイナミックレンジの相関関係を比較するサイト”Photons to photos"で、EOS RとEOS Raとで違いはないか念の為確認してみました。
すると、なんと大幅に違いがあるではありませんか!
EOS60Dと60Daはほとんど同一なのですが、こちらは天体仕様機のRaが大幅に良好なのです。

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最新機種のR5も非常にいいですね。
R6は未発売なのでまだデータが掲載されていませんが、R5やRaをどれだけ上回るのか、興味津々です。




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朝日スーパーラインの星空 [星景写真(下越)]

8月18日、やっと県境付近の朝日スーパーラインの通行止めが解除され、鳴海金山まで車で行けるようになりました。
これ以上望めないくらいの快晴に恵まれた19日、約10年ぶりに夜の鳴海金山目指して出撃。
通行止めが解除になったとはいえ、相変わらず三面ダムから平床林道の合流地点までは通行できないままで、合流地点には柵が設置されたままです。
鳴海金山までは舗装路が続きますが、そこから先はダートとなり、県境手前1kmのあたりから一気に悪路となります。
前回来た時の印象より、さらに悪路度は増しているように思いました。
おそらく道路がメンテナンスされているのは鳴海金山までで、それ以外の区間は全く放置されているのではないかと。
県境手前500m地点に記念碑の立つ広場があり、そこから南方向の展望が開けます。
一応県境まで走ってみたけど、やはり展望が利くのはここしかなかった。
ただし、背後は山なので北極星が見えません。
前回来た時はコンパスで北方向に適当にポタ赤を向け、追尾撮影した記憶があります。
広角レンズを使った星景写真なら、十分そんなやり方で天の川を写せます。
でも今回はポタ赤を使わず、固定撮影で挑みました。

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EOS 80D + EF16-35mm F2.8L III (共通)

久々に超の字の付く壮絶な星空を目にしました。
固定撮影ゆえ思い切りISOを上げているので画質はイマイチですが(カメラもAPS-C機だし)、星空の素性の良さはお分かり頂けるかと思います。
わずかに村上市方面の光害が視認できますが(右端)、それも気になるほどではありません。
はるかかなたに飯豊連峰の山並みを見ることができます(左端)。

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同じ場所から北の天の川。
北東~北の空が最も暗く、しびれまくりでした。
これで北極星を導入できるもう少し広い展望地があったらいうことないのですが、やっぱりないのです。
高根からここまで約35分。
平床林道は割と道幅があるので、運転はそれほど疲れません。

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最初の2枚のカットを撮影したのち、もと来た道を引き返しながら北極星を導入できる場所を探しました。
平床林道へ入り、数百メートル進んだところでいい場所を発見。
そこでポタ赤を設置し、追尾撮影を行いました。
改造機なら淡いルビーのような、小さな散光星雲が縦に連続するはずなのですが、ノーマル機だと無色。
その点はやはり味気ないです。
30分くらい連射し続けたけど、その間残念ながら流れ星は画面を横切ってはくれませんでした。

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さらに平床林道を下りながら、駒ケ岳を望める場所を探しました。
やはり10年以上前に一度だけ登山したことがあるのですが、標高こそ776mしかないものの強烈な存在感を放っている山で、以来ぼくの中では聖地のひとつになりました。
上の方に輝く明るい恒星はベガでしょうか。

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さらに林道を下り、ひょっこり顔を出したスバルと火星を入れた構図で1枚。
時刻は23時55分。
この辺は秋の紅葉が素晴らしいので、秋になったらもう一度”紅葉星景”を撮りに来てみたいです。


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煌めくグリーンフラッシュ [グリーンフラッシュ]

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EOS M6 Mark II + SIGMA 150-600mm F5-6.3 DG OS USM (X1.4テレコン)
トリミングあり(全写真共通)

ハイキングや鉱物写真専門に使っていたM6 Mark IIを、初めてそれ以外の用途で使用してみました。
有効画素数3250万画素なので、トリミングすることの多い太陽写真にはもってこいかなと。
場所は、生まれてはじめてグリーンフラッシュを目撃した柏尾海岸(村上市)。
このあと朝日スーパーラインへ行く予定があったので、笹川流れの海岸をチョイスした次第。
最近の太陽がそうであるように、この太陽にも黒点が見当たりません。
地球は本当は寒冷化に向かっているのではないかな?

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この辺りからグリーンセグメントが現れ始めたのだけど、露出がオーバー気味になりました。
同じメーカーのカメラでも微妙にアルゴリズムは異なるので、もう少し慣れが必要です。

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2枚めの写真以降、ずっと緑の煙幕?に太陽は包み込まれ、かなり長い時間グリーンフラッシュと呼べる現象が続きました。
2017年9月、碁石海岸で見たGFとほぼ同程度の強烈さ。
何より普通の太陽と違うなと思ったのは、太陽の明るさです。
いつもは2枚めの写真の大きさになると双眼鏡で覗けるんですが、この日はこの小ささになっても眩しくて双眼鏡を使うことができませんでした。
従って以降は肉眼で観察しております。
もちろん肉眼でもバッチリとその瞬間を目撃。

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一番ラストのカット。
ここでバッファが一杯になり、シャッターが降りなくなってしまいました。
EOS80Dよりバッファは多分少ないので、高速連写するときはやはり注意が必要。
画質的には明確に80Dを上回ったので、今後太陽写真ではM6MK2をメインで使うことにします。




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流れ星3個ゲット ^^; [星景写真(下越)]

13日、4~5年ぶりに大毎の棚田へ向かいました。
着いたときも全然曇っていたけど、なんとなく晴れる予感がして待機。
そして薄明終了直前になり、まず南の空から天の川が顔を出し始めました。

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EOS80D + EF16-35mm F2.8L III (共通)

45秒の追尾撮影画像1枚ものです。
久々に赤道儀を持ち出しました。
結局、改造機のEOS6D MK2は故障してしまったので、やむなくノーマル80Dで星撮り。
やはりフルサイズ機に比べるとノイジーですね。
sequator利用前提の固定撮影も実験がてらやってみたけど、ISOをさらに上げざるをえないので、思い切りノジーになります。
フルサイズ機のありがたみがよ~くわかった。
もちろん絞り開放で使っていますが、レンズの方もSIGMA 18-35mm F1.8 DC に負けていますね。
フルサイズ用のレンズなのでもう少し周辺部がシャープに写るかなあと思いましたが、シグマの方が中央部も周辺部も全域写りは上。
1枚ものですが、人工衛星が4つくらい写りました。
射手座周辺は人工衛星や飛行機の通過が多いですね。


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これも1枚もの。
もちろん追尾撮影。
20時20分を過ぎた辺りから、天頂にかけても雲が取れてくれたので、この構図で追尾開始。
しかし、なかなか流れ星が現れません。
それに、レンズが曇る曇る。
レンズヒーター持ってきていなかったので、だましだまし撮影。
低空の方では何個か小さい奴が流れましたが、運がない・・・
しばらくしてやや北の方に構図をずらしたのですが、その後射手座の右側でかなり大きな流れ星が2~3個流れたので、構図を変えなければよかったと後悔。
そうこうしているうちに再び全天曇ってしまいました。
22時まではいようと決めていたので撮影はいったん中断し、コンビニ弁当タイム。

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22時手前になって、ようやく晴れてきました。
この構図で22時50分まで粘りましたが、再び薄雲が空の2/3を埋め尽くしたところで撮影終了。
20分の撮影でなんとか3個の小さめ流れ星が写ってくれたので、比較明合成で1枚に合成しました。
本当に淡くて小さい・・・
肉眼ではこの日10個以上観測しています。
しかし、火球クラスは1個もなく、中くらいのものは2個ありましたが、あとは小さなものばかり。
でも、やはり大毎郊外の夜空はスゴイ。
そういう意味では満足しましたが。
三日月が二王子岳の上空に上がる頃新発田へ帰ってきましたが、そのときの新発田の空は快晴状態。
しかし気力が残っていなかったので2回戦突入はありませんでした。



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飯豊鉱山集落跡地から見る天の川 [星景写真(新発田市)]

iidevillage.jpg
出典:緑の谷・赤い谷様

昭和42年に閉山した飯豊鉱山で働く人達の集落が、今の加治川治水ダムの上下2箇所にありました。
ダムの真下にあった日曹飯豊鉱山下流集落跡地は、今もそっくりそのまま残っています。
ぼくが市の観光課の職員だったら、詳細な案内板を立てるところ。
それはそうと、10日、2年前から一度は撮りたいと思っていた構図~集落跡から天の川を見てみる~を実行すべく現地へ向かいました。
幸い薄明終了時には2時間前よりさらに雲が取れ、満天の星空が出現。

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EOS 6D Mark II 改 + EF16-35mm F2.8L III (共通)

集落跡地のほぼど真ん中から撮りました。
ダムサイトに明るいLED(多分)灯が2本立っており、その光がこの広場までうっすらと届いています。
草むらが緑に被っているのはそのためです。
この集落跡地から飯豊鉱山は見えません。
視界に入るのは赤谷鉱山です。
右手の山が、赤谷鉱山で最大の産出量を誇った場割沢鉱区、その左、谷間にちょこんと顔を出している小ピークの手前にスダチ沢鉱区、その奥に水無沢鉱区、左手の山には源兵衛野巣鉱区があったのです。
右側の空にわずかに新発田市の光害の影響がみられますが、ここまで来ると県北の有名ポイントに負けない素晴らしい星空を拝むことができます。
タイムマシンで昭和30年代にタイムスリップし、ひと夏この集落で過ごしてみた~い!
(独り言~恋が芽生えるかもしれん・・・あ、でも妙齢の婦女子はいないか)

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同じ場所からダムサイト方面をパチリ。
16mmでなんとか白鳥座まで入りました。
撮影の前後で、カシオペアの横をやや大きめの流れ星が2つ流れました。
そろそろペルセウス座流星群の時期ですからね。
あと、あまり知られていないけど、はくちょう座k流星群(18日が極大)も8日からぼちぼち見られるのです。
このあとダムの上へ移動し、北股岳が見えるところまで車止めから5分ほど歩いていきました。

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秋に来たことはあるけど、夏の夜間に来るのは今回が初めて。
残念ながら雲が低空にあったのと、天の川が北股岳方面にカメラを向けるとほんの少ししか入らないので、絵作りは難しいです。
と、1枚試写し終えたのちにトラブル発生。
error20の表示が出て、シャッターが降りなくなってしまった。
バッテリーの抜き差しをしても変わらない。OMG。
今日になっても、やはりシャッターが降りないまま。
故障決定。
ハヤタカメラさんは17日まで盆休みだし、万事休す。
APS-C機のEOS80Dにこの広角ズーム(16-35)を使えば、広角側が25.6mmとなります。
ペルセやはくちょう座k流星群はこの組み合わせで撮るしかありません。





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