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角田山の石切り場跡 [鉱物 (弥彦山周辺)]

かつて、弥彦山麓では間瀬石(角礫凝灰岩もしくは玄武岩)が採取されていました。
間瀬石の歴史は古く、文化年間(1804-1818)に遡ります。
耐火性・保温に優れ、水中での退化にには強いことから、炊事用かまどに利用されました。
大正9年(1920)間瀬銅山が閉山すると、そこで働いていた人達の一部は石工へと転職し、間瀬石の採掘に携わりました。
しかしながら、大正時代後期にはセメントの輸入に押され、建築資材としての需要はほぼなくなりました。
その後もかまど用として、昭和30年代まで細々と生産されていましたが、間もなくその100年の歴史に幕をおろしたのです。
下山海水浴場前の下山トンネル脇に間瀬石の石切り場跡が残っていますが、間瀬銅山の鉱山集落があった付近にも石切り場跡が見られます。
また、弥彦山塊のみならず、角田山塊にも間瀬石を切り出していた跡が複数箇所残っています。
2年前、偶然角田山麓の小沢を遡行しているときにそれを発見しました。
その沢はなんと一つも砂防ダムや堰がなく、太古の昔と変わらぬ原風景を留めているため、春には必ず訪れるお気に入りの場所なのです。
1月30日、さらにこの沢の地形を把握するべく、時にあられが激しく降りしきる中、訪れてみました。

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この沢の流域には、大雑把に言って4箇所の切り出し場跡が見られます。
ここが最初の切り出し場跡。

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左に見えるのが2箇所目の切り出し場跡。
4箇所の中ではここが最も規模が大きそう。

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途中、踏み跡沿いにかなり大きな石垣が出てきますが、沢沿いにも人工的に石を積んだ跡が見られます。
それがここ。
かなり上流の方です。

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そして、ここが3箇所目の石切り場跡。
2箇所目に準ずる大きさで、中央に佇むと不思議な気分になります。
岩の放つエネルギーが四方から身体に飛び込んでくるためで、この感覚は言葉では説明不可能。

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同じ場所の上部。

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この辺まで来ると、一帯はさらに桃源郷的雰囲気を帯びてきます。
春には水仙やワイルドフラワーが咲き乱れます。

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4箇所目の切り出し場跡は規模が小さいので写真は省略。
今回は今までで最も上流まで歩いてみました。
ここがUターン地点。
ここから先は踏み跡も途絶え、もう切り出し場跡はなさそう。
正面奥に見える三角形のピークは、多分角田山山頂からやや西にそびえる457のピークではないかと。
いつものことながら、沢を詰めてから登山道に出るまでヤブがどのくらい深いのかが気になりますが、沢歩き入門用のコースとして、この沢はいいかもしれません。












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