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顕になってきた大沢鉱山の全容 (2) [鉱物 (村上市・大沢鉱山)]

大沢鉱山エリアで最も大きな露天掘り跡を発見したあとは、一気に柴倉山の三等三角点(330.7m)を目指しました。

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その途中で坑口発見。
内部は崩落しており、3~4m先で閉塞していました。

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そして、念願の柴倉山山頂へ到着。
9合目から上は踏み跡も途絶え、樹木が生い茂っていて視界も効かず、山登り的には面白みがなかったです。
しかし、なぜか山頂にはピンクのテープが枝にぶら下がっており、全く人が来ないわけではないようでした。
ここから、最初に来た時に発見した江戸~明治時代のものであろう坑口群は北東方向に位置します。
ということで、空白域だった北斜面を踏破すべく、ヤブの薄そうなところを選んで下降開始。
ヤブが薄くなり始めたのは8合目に差し掛かった時。
そして、早速待望の坑口が現れました。

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時系列は前後しますが、最初に現れた大岩壁。
ここに坑口が2つ眠っていました。

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これはそのうちの1個。

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4m先で崩落しているようです。
なかなか入っていけそうな坑口は出てきません。

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さらに下っていくと、とんでもない地形に遭遇。
これも次の坑口の写真と時系列的には前後するのですが、さらなる大岩壁の出現です。
ここに坑口が4個もありました。
ただし見た目以上に斜度はきつく、上の坑口から下へ降りるのにこの日初めて補助ロープを使いました。

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坑口から漂ってくる波動がずっしりと重いです。
とはいえ決してネガティブな感じはせず、いい意味で身の引き締まる思いがしたというか、大地の深部のエネルギーを直に感じました。

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この大岩壁最下部に位置する坑口。
この坑口が最も大きかったです。

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ところが、入ってすぐのところで天盤から2mくらいの大きな岩が落ちてきたのか坑道を半ば塞いでいました。
這いつくばれば侵入できますが、さすがに本能的に危険を感じたので無茶はせず。

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なんと、斜坑に近い構造の立坑でした。
奥の方は物理的に見えません。
これらは全て8合目付近に出たきた坑口群の一部です。
初回の探索時に見つけた坑口群は7合目に位置しており、距離的にもここから100m近く離れています。
つまり、この100mの区間は未だ未探索。
意外と斜面は起伏が多く、雪解け直後でもそれほど遠くまでは見渡せないので、とにかくピンポイントで歩いてみるしかないのです。
そいいう意味では、まだ若干探索してみたい斜面が残っています。
面積的にはまだ2/5が未体験ゾーンなのです。







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顕になってきた大沢鉱山の全容 (1) [鉱物 (村上市・大沢鉱山)]

まさか、これほどの規模とは・・・
またまた大沢鉱山(=大沢金山)へ探検しに行ってきたのだけど、予想以上の成果がありました。

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全てはここから始まります。
ここが最大の石垣であり、鉱山の正面玄関なのです。

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大沢鉱山の区域はかなり広く、このような平坦地が何箇所もあります。
その中ではここが最もズリが多い。
さっきの石垣から上へ上へと伸びている踏み跡を辿っていくと、この膨大なズリ斜面へ出ます。
左側斜面はゆるく下り勾配になっており、そこがおそらく最大のズリ斜面。
踏み跡はズリ斜面の右端の杉林との境目に付けられています。
改めて周辺の斜面を丹念に探したけど、ここでは坑口は見つけられませんでした。
これらの鉱石の供給源は、7~8合目に多数存在する新旧(古いものは江戸時代、新しいものは明治~大正時代、一部昭和12~18年に開口のものある)の坑口だと思われます。

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まだ足を踏み入れたことのない斜面を登っていったら、かなりはっきりした踏み跡に遭遇。
それがこれ。
左側から登ってきて、この写真中央で右側に折り返し、ジグザグに斜面を登っていきました。
どこへ導かれるかとワクワクしながら。

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なんと、途中坑口も現れました。
しかしこれは脇役であり、この踏み跡のゴール地点は別にありそうです。

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もう山の8合目を過ぎ、9合目に差し掛かろうという辺りで再び膨大なズリが現れました。
残雪もそこかしこに残っています。

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そして、広大な露天掘り跡に出たのです。
4月4日の記事に書いた露天掘り跡とは別な場所。
こちらの方がはるかに標高が高く、規模が大きい。
面積的には2.5~3倍くらいあるのでは?
実はこの後、大沢鉱山を代表する坑口である”益坑”を発見するのですが、これで初めて日本金山誌における記述「・・・大沢金山は益坑上部を露天掘りにより採掘し、日本産金振興㈱日頃市製錬所(岩手県)に売鉱した。」が腑に落ちました。
4月4日の場所も確かに露天掘り跡なのですが、あそこだと益坑上部とは言えないからです。
ここなら益坑より確かに上であり、地理的要件を満たします。

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本当に面積が広く、上部は標高300mに達するほど。
ここもどこかに坑口があってもおかしくないのですが、坑口は見つけることはできませんでした(それなりに怪しい地形は2~3箇所あったけど)。






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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (5) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

昨日の記事の坑道では、いくつかの注目すべき鉱物に出会いました。
本坑エリアの全貌シリーズも今回が最終回です。

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万才坑でもよく見られる胆礬です。
あちらほどあちこちにあるわけではありませんでしたが、このような銅の二次鉱物を見るとワクワクします。

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今回は荷物軽量化のため、ハンマーを持っていきませんでした。
なので写真だけなのですが、複数箇所でこのような白い鉱物を見ました。
間瀬銅山のズリや他の坑道の例からすると、水晶か方解石ということになるのですが、どうも質感が微妙に違います。
いろいろ調べましたが、どうやらこれは沸石のようです。
写真のような仏塔状ないしはモコモコした形状の奴が見られたのですが、似たような外観の沸石はソーダ沸石、中沸石、ゴンナルダイトあたりでしょうか。

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こちらは自信がないのですが、おそらく珪孔雀石。

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端っこの方に紫色の部分があったので、そこの部分を拡大してみました。
???ですが。

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坑道の入り口付近にこれと類似の鉱物が多数見られました。
最初は孔雀石かなと思ったのですが、緑簾石かもしれません。

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中にはこのように宝石質?の緑色の結晶もありました。
細い針状の透明な結晶~多分ソーダ沸石系だと思うのですが~が共生しています。

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さすがにサンプルを持ち帰りたかったのですが、ハンマーは持参しなかったため仕方なく地面に転がっている石を1個持ち帰り、マクロレンズで写真を撮ってみました。

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緑色部分の拡大。
緑簾石と沸石の組み合わせだと思うのですが、よくわかりません。
緑簾石もそこそこ透明感があるので、ハイグレードな孔雀石と見分けが付かないくらい。

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この石の後ろには1/4ほど焦げ茶色の脈が入っていたのですが、その部分の拡大です。
間瀬銅山では菱鉄鉱も採れていたので、変質しかかった菱鉄鉱だと思います。
透明な板状の沸石もありました(中央やや上)。
この石はたわしでゴシゴシ水洗いしたのですが、よく生き残ったなあ・・・
この石の中身は鉄がかなりのウェートを占めているようで、比重がずしりと重かったです。




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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (4) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

4月14日の記事で一番最後の写真の坑口を探すべく、間瀬銅山本坑エリア上部へ。
地形が思ったより急峻で、樹木もそれなりに密生しており、発見するのにかなり時間を要しました。

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坑口は絶壁に近い斜度80度ぐらいの大岩壁の途中に開口しており、過去4年間に訪れた中で、最も坑口へたどり着くのに苦戦しました。

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坑口前にスペースはほとんどなく、正面に立てません。

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入ってすぐの光景。
この近くで見つけたもう一つの未知の坑口より広いです。
というか、ここの坑道は万才坑に次ぐほどの規模だったです。

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壁が青白くなっているのは、色温度がちょっと高いフラッシュライトを当てたせい。

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途中から二段構造になりました。
ここは天井が高いので背伸びできますが、それまでは(そしてこの先も)高さが1.5mくらいしかないため、身長182cmのぼくは前かがみになって歩かないといけません。
これが結構ツライ。
そして、30mくらいで終わるだろうと思っていたこの坑道、歩けど歩けど終わりが見えてきません。

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上段部分。

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もう100m以上歩いてきています!
二段どころか、三段構造になっている箇所もあり、さらには下層階の存在が判明。
しかし坑道は左右に分岐することはなく、ひたすら真っ直ぐ前進あるのみ。
上の写真の坑道も、この先右側にゆるくカーブして続いていました。
一応、ここがぼくの最終到達地点になります。

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奥の方の上層階。
二段構造の上層部はずっと連続しているわけではなく、2~3箇所に分断しているようでした。
それにしても、下層階にしろ上層階にしろ、どうやって侵入していたのでしょう?
ハシゴがあればいいのですが、何も坑内には見当たらず。

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結局100~120mくらい歩いたところでUターン。
途中から垣間見えた下層階が、非常に脆そうな構造の上に成り立っていることがわかり、これ以上進むのは危険と判断したからです。
従って、坑道の全長は不明なまま。
もう一つの疑問は、この坑内で採掘した鉱石をどのように鉱山集落まで運んだのか、ということ。
この坑口は80度の絶壁の途中に開口しており、左右からなんとかトラバースできますが、非常に微妙なバランスが要求されるため、何十キロもの鉱石を背負って歩くのはさすがに考えられません。
鉄索があればいいのですが、鉄索の痕跡はありません。
いろんな意味で、なんとも不可解な坑口・・・
間瀬銅山、一般に知られている以上に謎に満ちています。


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鮫銅山滝壺ノ沢鉱区の搬出ルート解明 [鉱物 (弥彦山周辺・鮫銅山)]

自分の中では迷宮入りしかけていた、鮫銅山滝壺ノ沢鉱区のどこかにあるはずの、複線レールの残骸とコンクリートの土台を発見しました。
(今回も名無し氏のアドバイスに助けられました。深く感謝します。本当にありがとうございました、押忍。)

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わかりにくいですが、レールが飛び出しています。
その数4本。

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真横から。

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突き出たレールの左側は広いテラスが2段に整備されており、かつての賑わいを彷彿とさせました。

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右斜め上がレールが突き出ていた場所。
おそらくは白い山野草で埋め尽くされたこの斜面の中央をレールが走っており、滝壺ノ沢鉱区で採掘した鉱石を野積村方面へ運搬していたはず。
行きは小沢を詰めて問題の場所を目指しました。
つまり、この斜面を登っていったのです。

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広場を挟んで、レールの反対側にはコンクリートの土台が一つだけ残っていました。
昔は鉄索が、露天掘り跡直下の河岸段丘からここまで設置されていたのではないかと。
これだと全てが符号します。
帰りはこの広場から尾根沿いに踏み跡が伸びていたので、そこを辿って下山。
最初、尾根の上部への踏み跡を100mほど辿ってみたのですが、GPSのログを見ると、4月10日の記事で発見した踏み跡とつながっているようでした。
それを確認してから下り方向の踏み跡を改めて辿り、下山。
行きに通った、小沢の右岸尾根をひたすらトレースしており、途中不明瞭になる箇所も2~3回ありましたが、なんとか最短ルートでスタート地点まで戻ってこれました。







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大沢鉱山、その後の発見 [鉱物 (村上市・大沢鉱山)]

つい先日、図書館で大沢鉱山(村上市)について書かれた新たな文献に出会いました。
小菅徹也「金銀山史の研究」(高志書院)がそれ。
大沢鉱山や、近くの大毎金山に関しては最も詳しく書かれていると思います。
一部引用します。
「目下判明せる鉱床にして稼行中のものは益坑ヒなり。益坑ヒは当地区の西部にある石英鉱脈の一号ヒを中心とし、周囲に多数の平行脈が集まり、この総幅員約三十乃至五十メートルに及び、一大鉱染鉱脈にして走向北三十度にし、傾斜六十五度西をもって当鉱山の三角点を横断し、走向の既知延長四百十メートルなり。目下主として三角点より北部を稼行中なれども、三角点より南部方面に無名の旧坑多数存在し、二グラム乃至六グラム程度の旧ズリ数万トンに及ぶ状況より推察し、往時盛んに稼行せられたものと思考せられる。・・・」

益坑ヒの名前は他の文献にも出てきます。
「金銀山史の研究」では、大沢金山について「大沢金山の主坑である益坑ヒはトン当たり二十~八十グラムの高品位のところもあったが、『日本鉱山誌』によれば、昭和十六年度の三千八百トンの出鉱量の品位はトン当たり金四.七グラム、銀七.三グラムとなっている。」
このように主坑であると述べられているので、益坑ヒを特定することが何より大事。
しかし、いくつかの矛盾点もあり、とにかく現地へ行き、少しでも多く斜面を駆けずり回る意外に方法はありません。
というわけで、21日改めて大沢鉱山を訪れた次第。

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鉱区と平行して伸びている林道より、下の谷間2箇所をまず探索。
途中鉱山のものと思わしき錆びたワイヤーが出てきたので周辺部を丹念に探すも、坑口は見つからず。
後でもっと上の方で、これと類似のワイヤーを見つけたのですが、やはり周辺にこのワイヤーの用途を匂わせる何かを見つけることはできませんでした。

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林道より下のレベルで何も見つからなければ、前回見つけた石垣から上部へ踏み跡がないか探し、もしあればそれを辿ってみる作戦でした。
そして、下の斜面からこの石垣へ向かって登っていくと、なんとまたまた石垣に遭遇。
規模も前回のそれとほぼ同じ。
石垣の摩耗度、風化度から判断すると、江戸時代のものだと思うのですがどうでしょう?
やはりというか、ここから上部斜面に向かってうっすらと踏み跡があり、それを辿っていくと前回の石垣へ出たのでした。
そこまでの区間もひたすら大きめのズリがごろごろしている斜面で、坑口がいつ現れてもおかしくなかったのですが、現れず。
ただし、周辺で埋没してしまったのかもしれない坑口跡を2箇所見つけましたが、確信度は20%にすぎません。

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石垣から東の方にうっすらと伸びている新たな道の痕跡を辿っていくと、右手に怪しい地形が見えてきたのでひと登り。
そして坑口発見!
なんと、3つの坑口が集まっています。
スケールが予想以上に大きく、まさに圧巻。
今まで見つけた中で、最も東に位置する坑口になります。

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まずは最も大きな、一番下の坑口へ入ってみました。
内部は複雑な構造で、それぞれの坑道は短いものの、手当たり次第掘ったという感じ。

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左側の坑道の終点(といっても全長3mくらいですが)。

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二段になっている中央上部の坑道奥。

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右側の坑道。
水没しているけど、ひょっとしたら立坑の可能性もあります。
坑口からちょっと入ったところからでは見通せない部分もあり、坑道の全容は掴めませんでした。

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一旦坑口を出て、今度は上部の坑口へ。
ところが、写真からはわかりませんが坑口の正面に立つことが物理的に厳しいので、側面から。

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左側はすぐ閉塞。
右側は奥があるように見えましたが、高さが低く、この先に進むのは匍匐前進必須です。

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こちらは右側の坑口。
狸掘り跡のように見えますが、なだれ込んでいる土砂が左側にあったであろう坑口を覆い隠してしまった可能性も捨てきれません。
益坑跡はわからなかったけど、前回見つけた石垣奥がやはり怪しい。
あそこだと”南部方面に無名の旧坑多数存在し・・・”という金銀山史の研究で述べられている特徴と一致しますから。
この文献で書かれている”三角点”とは柴倉山の三等三角点を指すのではなく、前後の文脈からすると、どうも複数走っている鉱脈の中心を指しているように思うのです。
次回行くことがあれば、まだ探索したことのない柴倉山九合目まで登ってみたいです。










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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (3) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

14日、五号坑と思われる結構大きな坑口の先に、続いて新たな坑口が右岸に出てきた話を前回書きました。
さて、この日はここからが本番。
前日下山時に、対岸のかなり上の方に坑口が二つあるのを見つけたわけですが、それらの探索に入りました。

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標高差で40mぐらいでしょうか、沢筋を離れ、急斜面をひと登りしたところで目的の坑口を発見。
これは14日の記事の、下から二番目の写真の坑口です。
ちなみに、一番下の写真の坑口はここよりざっと20mくらい上に位置するのですが、今回は見つけることができませんでした。

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驚くべきことに、非常に長い水平坑道が正面に伸び、右下には立坑が待ち構えていました。
小さめな間口からは想像できない、立派な坑道(ただし、高さはない)。

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望遠レンズで捉えた最奥部。
どうやらあそこで閉塞しているようです。
距離はだいたい40m弱でしょうか。

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こちらは右手の立坑内部。
左斜上方向に坑道が続いているように見受けられます。

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坑口を出て、ここからほとんど真上方向にあるはずの別な坑口を求め、斜面をああだこうだと登っていくと、なんとはっきりした踏み跡に遭遇。
ちょっと右側に逸れてしまったし、高度も予定より10mほど登りすぎてしまったので修正しようと思っていたら、立派な踏み跡が出てきました。
まさかこちら側の斜面~それもかなり沢から登っています~に踏み跡が出てくるとは全く予想外だったので逆に興味を惹かれ、あるべきもう一つの坑口探しはまたの機会に譲り、この踏み跡を辿ってみることにしました。

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踏み跡は終始明瞭で、弥彦スカイライン方面に向かって一直線に伸びています。
このまま稜線に突き上げるのかな?そろそろ引き返した方が無難かなと考えあぐねていた時、唐突に踏み跡が途絶えました。
正確に言うと、途絶えた地点からジグザグに方向を変え、やや不明瞭になりながらも踏み跡は続いていたのでそこを辿っていくと、写真の坑口に遭遇。
これが八号坑か!
全く予想外の斜面に坑口はありました。
内部は落ち葉が例によって厚く堆積しており、入れるような高さはなかったです。
明治時代の坑口であり、八号坑に関してはおそらく大正時代まで持たなかったと思われるのですが、かつては大勢の人がこの踏み跡を辿って行き来していたのでしょう。
多宝山周辺の坑口もそうでしたし、直近の例で言えば県北の大沢鉱山もそうだったように、必ず坑口に至る踏み跡が山中に残っているものです。
坑口を探す前に、それらしい踏み跡を見つけることが大切。

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八号坑から半径10m以内に、二つの坑口を見つけました。
といっても、これら二つはグレーゾーンではありますが(坑口でないかもしれない確率40%)。
でも、八号坑がそうであるように、廃坑の入り口には切り取られた大木が斜めに置かれていることが多いです。
この坑口もらしい大木が置かれているので、坑口である可能性大だとは思います。

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これは対岸に見える尾根ですが、本当は八号坑はこの斜面の7~9合目にあるのではないかと思っていました。
なぜなら、郷土史の絵図では八号坑が沢の左岸に描かれているからです。
まだこの対岸尾根で予想した斜面を歩いていないので断定はできないのですが、従って向こう側にも坑口が出てくる可能性は残っています。
いずれ確かめてみたいと思いますが、正面に見えている谷の下の方は何度か歩いたことがあるのだけど、明瞭な踏み跡は見られません。
なので、絵図が間違っていると思うのですが・・・

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帰りは沢には降りず、この踏み跡を辿って下山することにしました。
どこへ通じているか、確かめてみたかったし。
だいたい予想通りのルートで下へ下へと伸びていました。
途中2箇所ほど大きな倒木が道を分断しており、ルートファインディングに迷う場面もあったけど、上の写真のようにうっすらと苔むした道は歩いていてとても快感でした。

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踏み跡は2/3ほど下った辺りで二手に分岐。
ここで尾根筋を離れ、沢方向に向かっている踏み跡をチョイス。
しばらくしたら、新たな坑口がまたまた出てきました。

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こちらも内部は落ち葉の山に埋もれていますが、元は坑道の高さが1.5m以上あったように思われます。
この先、こちらの踏み跡は尾根筋からの踏み跡と合流したのでした。
最終的にスタート地点とさほど離れていない場所へ通じていました。
帰宅してGPSのログを地図(カシミール3D)に落とし込んでみて、改めて分析してみると、本坑エリアの全体像が自分なりに掴めました。
今回の最高到達地点の標高は約340m。
まだまだこの広い谷間一帯には坑口が隠れているものと思います。

※補足
間瀬郷土史の八号坑を記した絵図に、鮫坑に至ると小さく書いてあるんですけど、なるほど昔は鮫ノヒの露頭まで踏み跡が続いていたのかもしれません。





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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (2) [鉱物 (弥彦山周辺・間瀬銅山)]

14日、前日に対岸尾根から見つけた坑口2箇所を探しに、いつもとは違うルートでアプローチ。

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深ヶ沢の上流へ行くときにいつも通る鉱山道はパスして、沢を忠実にトレース。
実は中流部から上を遡行したのはこれで2回目。
鉱山道に比べると、やはり歩きにくい。
しかし、このように深山幽谷的風景が連続し、出てくる滝もほとんどは直登可能なので面白いです。

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以前の投稿で五号坑を発見した、という記事を書きましたが、こちらが間瀬郷土史の絵図が語るところの五号坑ですね。
場所的には近いのですが、風格が違いました。
五号坑確定。
河床からやや上がった左岸にあり、ちょっとわかりにくいです。

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坑口は横長となっており、左右にそれぞれ開口部があります。
内部で両者はつながっているのですが、泥や砂、落ち葉の堆積が厚く、無理に侵入してもすぐ進退窮まるでしょう。

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もう一つ、今回新たに沢沿いで坑口を発見。
こちらは五号坑のすぐ上手の右岸で見つけました。

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斜坑気味になっており、潜り込むのがこの辺が精一杯。
これは江戸時代の坑口っぽい。

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右岸に切り立つ大岩壁。
地形図を見ると雨裂記号が4本並んでいますが、その辺り一帯が急峻な岩場となっています。
しかしながら絶壁というわけではなく、ホールドも豊富にあり、ある程度ロッククライミングの経験者でしたらするすると登っていけるでしょう。
これは13日の記録に戻るのですが、この広大な岩場をさまよっていたら偶然坑口を見つけてしまいました。

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13日、対岸で坑口を二つ発見したと書きましたが、それらの坑口を探しに対岸の岩場を探索したわけではなく、位置的にもずっと北の方なのです。
GPSのログを見たら、なんと河床から標高差で60mも上がっていたのでした。
坑口内部は落ち葉の堆積が厚く、奥の方の状況はわかりません。
しかしあくまで堆積しているのは落ち葉なので、丹念に落ち葉を掻き出せば、或いはその奥が見通せるようになるかもしれません。








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間瀬銅山本坑エリアの全貌 (1) [鉱物 (弥彦山周辺・坂井銅山)]

13&14日と2日連続で間瀬銅山本坑エリアをじっくり探索してきました。
懸案だった八号坑も発見することができたし、そこまでの鉱山道や、付随する大小の坑口を何個も新たに発見。
実り多い二日間となりました。

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13日、最大の発見はこの坑口に尽きます。
割と間瀬銅山事務所に近いのだけど、深ヶ沢沿いではありません。

※2024/03/07追記
採登707号により、この坑口が坂井鉱山のものであることがわかりました。
よって関連する記事を全て修正しました。
広義での本坑エリアに位置することは変わりないので、本記事のタイトルは変えなかったですが。


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坑道は南北方向に伸びています。

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距離は長く、少なくとも30mはあります。
水没しているのが残念。

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この日のもう一つの目的は、地形図で丘敷坑の上部にある雨裂記号の周辺を探索することでした。
まだ、これが八号坑だと確信できる坑口には出会っていないので、それを探しに急峻な岩尾根を登っていきました。
すると、かなり大規模な露天掘り跡に出ました。
岩場は標高差で30m近く延々と続いており、最上部まで採掘した跡があります。

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かなりアスレチックです。
ただし、踏み跡は途中から切れたため、標高250m付近で下山開始。
それにしても、ある程度大きな岩場でしたら必ずと言っていいほど露天掘りの痕跡が残っています。
本当に山全体を掘り尽くしたんですね。

※ページトップの坑口の発見に際し、名無し氏の助力がありました。この場を借り、改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。




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大沢鉱山水没坑道の奥へ [鉱物 (村上市・大沢鉱山)]

慶長二年(1597)から正保二年(1645)の間に開坑されたと言われる大沢鉱山。
坑口は柴倉山の北斜面に分布しているけど、日本金山誌における同鉱山の位置を示す地図だと場所が西へかなりズレて表示されているのです。
(地質NAVIにおける地質図に鉱床を表記させてみると、もっと誤差が多くなる。大沢鉱山は川を挟んで対岸に表示されるのだから。元地図が20万分の1なのでしょうがないけど。)
日本金山誌の地図はいい加減なものが多いのですが、念のためその辺りの斜面も探索すべく、11日現地へ向かいました。

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前回廃林道脇で見つけた標柱によると、この林道の全長は4.6kmなのですが、起点と終点は明記されていないので不明。
今回最初に探索した、柴倉山山頂から直線距離で西北630~650mの斜面の取り付きにも、その古い林道が山肌を縫うように標高150m付近の斜面に伸びていたのです。
途中崩落したり、ヤブが濃かったりであと10年もしたら歩けなくなりそうな雰囲気でしたが、その林道から明神川支流に入り、急斜面を詰めたところで見つけた地形です。
落ち葉に埋もれていますが、落ち葉の下には残雪が埋もれています。
巨大な雪渓。
ちょうどこの辺りが日本金山誌で丸印が付けられた辺りだし、雰囲気的にも真正面の岩壁下部には雪渓の下に坑口が埋もれていそう。
こっち方面の斜面の探索はこれで切り上げ、次は前回見つけた大きな坑口より西側の斜面の探索に向かいました。

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等高線の間隔が緩やかな斜面に来ると、いろいろらしい地形が現れ始めます。
この窪地は明らかに人工地形。
赤茶色のレンガらしきものも見られます。

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その近くでかなり大きな石垣発見。

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石垣の左側の風景です。
おそらく坑口が埋没しているものと思われますが、定かではありません。
ここから標高240~250mの辺りをトラバースしながら、前回見つけた大きな坑口へと向かいました。
くだんの坑口のさらに上部、標高285mまで登りましたが、2箇所ほど埋もれてしまったのかもしれない坑口(確信は持てない)を見つけただけで、新たな発見はありませんでした。

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この日のもう一つの目標は、冠水している2本の坑道を奥まで歩いてみること。
坑口を入ってすぐ、坑道は3方向に分岐しており、中央の坑道と右側の坑道が途中から水没というと大袈裟だけど冠水しているので、そこを突っ切っていく予定。

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まずは中央の坑道へ。
水深はそれほど深くはなく、最大で15cmくらいだったでしょうか。
また、水量そのものも前回来たときよりわずかに減っていたように思います。

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全長は40mくらいでしょうか。
最奥部手前のカーブに坑木が何本か散乱していました。

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そして終点。
方角的にはこの先に左側の坑道が出会うはずで、ひょっとしたら本来はつながっていた可能性もあります。

IMG_2704.jpg

いったん入り口まで戻り、次は左側の坑道を進みます。
こちらは最大水深23~25cmありました。
しかし冠水している箇所はここまでで、この先は普通に歩けました。

IMG_2701.jpg

途中から左にカーブし、やがて終点。
黒いつぶつぶはコウモリの糞です。
全長約50m。
センターの坑道もそうだったように、途中テラス状に掘られた横穴がありました。
地質はどこも同じで、基本的には粘土質石英脈。
あと大沢鉱山エリアで未探索なのは、柴倉山のピーク直下の9合目から8合目にかけての斜面だけとなりました。
(山腹をトラバースしている廃林道より下の斜面は、まだ全く歩いておりませんが。)





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