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大毎金山の飯場跡発見 [鉱物 (村上市・大毎金山)]

先日、早くも3回目となる大毎金山の調査へ行ってきました。
これで金山があったと言われるマンニモ山山麓(8合目~山頂にかけて)の9割を探索したことになります。
まずは、ある文献に、山頂に露天掘り跡があったと書いてあるマンニモ山(450m)の山頂へ。

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ある程度予想はしていましたが、なんにもありません。
ちょうどピークに鉄塔が建っており、鉄塔を建設する際、山頂にあった岩場を撤去したのかもしれません。
幹線道路からここまでは実に気持ちのよい登山道が付いており( 登山道というより、鉄塔監視用の道ですが)、斜度もゆるく、山頂からの眺めは抜群。
10分で登ってこられるコースですが、とても気に入りました。

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登山道は山頂で終わっているかなと思いきや、北北東の尾根沿いに伸びていたので、Uターンはせずそのまま尾根沿いの踏み跡をたどりました。
ある程度下ると踏み跡はほぼ消失、左右どちらに進もうか迷いましたが、左手側にトラバースしていくことにしました。
こんな感じの斜面となり、視線を上下に泳がせつつ、坑口らしきものがないか歩いていきます。
単純な地形だったのはここだけで、ある程度進むとかなり複雑な様相を見せ始め、GPSを見ながら歩いてもどこを歩いているのかよくわからない状況。
そして、予期せぬ場所でいきなり坑口に出くわしました。

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夏になったら壮絶なヤブとなることでしょう。
穴の直径は1mくらい。

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ライトを照射してみると、斜め右下方向に坑道は続いているようでした。
入り口の雰囲気とは裏腹に結構長そうです。
間口が狭いので、ここから先に体を潜り込ませるのは大変。
下には土砂や腐葉土が厚く堆積しています。

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ここの近くに露天掘り跡もありました。

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山菜採りの誘惑を押しのけ、時に藪こぎをしながら道なき道を進みます。
ところどころ、このような人工的な地形が現れるようになりました。
そして、これまた予期せぬ光景が目に飛び込んできました。

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なんと、墓石です。
江戸時代~明治初期のものでしょう。かなり古そうです。
マンニモ山の北西、標高384m付近。

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南無妙法蓮華経と刻まれています。
背面は摩耗していて判読できませんでした。

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周囲はなだらかな地形となっており、ここに飯場があったと考えて良さそうです。
大毎金山の資料は極めて乏しく、その限られた文献を読む限りにおいてはどこにも飯場があったなどとは書かれておりません。
なんか、鬼の首を取ったような、誇らしげな気分に一瞬なりました。

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改めて周辺を物色してみると、左斜め上の斜面に露天掘り跡。
過去2回の調査と総合して考え合わせると、マンニモ山の北西斜面は江戸時代~明治にかけて探鉱され、南東斜面は大正~昭和30年代?頃に探鉱されたのではないかと思います。
雰囲気が両者では全然違うからです、それぞれ一つずつ見つかった坑口や、複数の露天掘り跡の雰囲気を比較すると。
今回も、十貫山周辺ではなんの遺構~坑口や露天掘り跡~を見つけることはできませんでした。
「日本の金銀山遺跡」萩原三雄著によると、”十貫山”の主たる鉱脈は安山岩の割れ目に満たされた含金石英脈や粘土脈でウンヌンと書いてあるのですが、山腹に出てくる安山岩も大きいものはなかったし、ごく小規模な露天掘りで稼行していたとしか考えられません。
一方、マンニモ山周辺では大きな岩場がたくさん出てきますし、露天掘り跡も幾つも見られます。
坑口も南南西斜面で3つ、北斜面で1つ見つけました。
従って、あくまで大毎金山の主鉱床は、マンニモ山の山腹(標高380~430m付近)にあったのではないかと推察します。

※2020/09/27追記:
上記の墓石は、落盤事故の犠牲者のものであることがわかりました。
ここに集落があったわけではありません。
大規模な落盤事故だったようで、地元の伝説にもなっているほど。
ここに訂正させていただきます。






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