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鉱物 (弥彦山周辺) ブログトップ
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角田山の石切り場跡 [鉱物 (弥彦山周辺)]

かつて、弥彦山麓では間瀬石(角礫凝灰岩もしくは玄武岩)が採取されていました。
間瀬石の歴史は古く、文化年間(1804-1818)に遡ります。
耐火性・保温に優れ、水中での退化にには強いことから、炊事用かまどに利用されました。
大正9年(1920)間瀬銅山が閉山すると、そこで働いていた人達の一部は石工へと転職し、間瀬石の採掘に携わりました。
しかしながら、大正時代後期にはセメントの輸入に押され、建築資材としての需要はほぼなくなりました。
その後もかまど用として、昭和30年代まで細々と生産されていましたが、間もなくその100年の歴史に幕をおろしたのです。
下山海水浴場前の下山トンネル脇に間瀬石の石切り場跡が残っていますが、間瀬銅山の鉱山集落があった付近にも石切り場跡が見られます。
また、弥彦山塊のみならず、角田山塊にも間瀬石を切り出していた跡が複数箇所残っています。
2年前、偶然角田山麓の小沢を遡行しているときにそれを発見しました。
その沢はなんと一つも砂防ダムや堰がなく、太古の昔と変わらぬ原風景を留めているため、春には必ず訪れるお気に入りの場所なのです。
1月30日、さらにこの沢の地形を把握するべく、時にあられが激しく降りしきる中、訪れてみました。

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この沢の流域には、大雑把に言って4箇所の切り出し場跡が見られます。
ここが最初の切り出し場跡。

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左に見えるのが2箇所目の切り出し場跡。
4箇所の中ではここが最も規模が大きそう。

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途中、踏み跡沿いにかなり大きな石垣が出てきますが、沢沿いにも人工的に石を積んだ跡が見られます。
それがここ。
かなり上流の方です。

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そして、ここが3箇所目の石切り場跡。
2箇所目に準ずる大きさで、中央に佇むと不思議な気分になります。
岩の放つエネルギーが四方から身体に飛び込んでくるためで、この感覚は言葉では説明不可能。

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同じ場所の上部。

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この辺まで来ると、一帯はさらに桃源郷的雰囲気を帯びてきます。
春には水仙やワイルドフラワーが咲き乱れます。

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4箇所目の切り出し場跡は規模が小さいので写真は省略。
今回は今までで最も上流まで歩いてみました。
ここがUターン地点。
ここから先は踏み跡も途絶え、もう切り出し場跡はなさそう。
正面奥に見える三角形のピークは、多分角田山山頂からやや西にそびえる457のピークではないかと。
いつものことながら、沢を詰めてから登山道に出るまでヤブがどのくらい深いのかが気になりますが、沢歩き入門用のコースとして、この沢はいいかもしれません。












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未知の岩壁 [鉱物 (弥彦山周辺)]

貴重な晴れ間を逃したくなく、雪がほとんど積もっていないであろう田ノ浦海岸方面へ車を走らせました。
途中、角田浜の端っこに昨年オープンした「KAKUDA ROCK CRAWLING PARK」に立ち寄りました。
見るからにいろんな種類の岩が積み重なっているので、ひとつひとつ観察してみたいなあと思ってきたのですが、なにせいつ行っても人がいるので入れないでいたのです。
厳寒期の今なら天下御免。

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ロッククローリングとは、スズキ・ジムニーやトヨタ・ランクルなどの本格的四輪駆動車を用いて、岩場などの厳しい地形を走破することを競う競技を言います。
思ったより泥がこびりついている岩が多く、興ざめしたので10分弱しか調べなかったけど、碧玉系の岩が多かったでしょうか。いわゆる青玉や赤玉ですね。
たま~に石英脈や方解石が付いているものもあったけど、特に見るべきものもなく、写真は撮りませんでした。

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次に白岩観音の立つ岩場へ移動、気になる地形を調査し、さらに隣の海岸へ。
そこはちょっとした岬となっており、急峻な岩場にぶっといロープが垂れ下がっているので、2年前に初めて訪れたときからそのロープの先にどんな地形が待ち構えているのか、気になっていたのです。
雪はこの程度しかなく、探検するには支障にはなりませんでした。
さすがに今の時期は見通しがとても良く、地形が手に取るようにわかります。
雪に半分埋もれているロープを伝っていくと、ほどなく広い斜面に出ました。
傾斜はそこで緩くなり、大きな岩が林立しています。
これはスゴイ・・・

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さらに斜面を横へトラバースしていくと、次から次へと奇観が現れます。

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中には入らなかったけど、上部にはちょっとした洞窟も。
もちろん天然の穴です。
周辺の岩場もつぶさにチェックしましたが、ノミを使った跡はなし。
とにかく面積が広いので、今回はざっと全体の地形を把握することに主眼を置きました。
なので、歩き回ったのはごく一部。
残念ながら、玉髄(=水晶)脈はひとつも見つかりませんでした。
沸石系も見当たらず。
しかし、とにかく地形がダイナミックなので歩き回るだけでワクワクしっぱなし。
ここはもう1度来なければ。

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ここから上部の岩場はまだ未調査です。
帰りは踏み跡を見つけたので、そこを辿って下へ降りました。
すると、その踏み跡は見覚えのある場所へ続いていました。
このルートは出だしがヤブになっているけど、傾斜はロープのあるルートより全体に緩いので、次回はこの新ルートでアプローチしよう!

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降りてきたところにある岩場で見つけた、この日唯一の水晶らしい水晶。
あと、近くに薄い板状の玉髄もありました。

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近くの海岸ではこんな石を見つけました。
白い部分は方解石、母岩は緑泥石。
石全体のサイズは、男性のこぶしより一回り大きいでしょうか。
奥にある緑っぽい石は玉髄。
部分的に透明な部分もありました。

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もうひとつ、サイズは小さいですが、色の付いた水晶を発見。
この海岸では、この形状のものはよく見かけます。

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立派な方解石脈が付いている石を持ち帰り、恒例の蛍光実験。
思った通り、長波のUVライトでサーモンピンクに蛍光しました。
間瀬銅山付近で見つかる方解石は、その多くがサーモンピンクに蛍光するようです。

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現地では気づきませんでしたが、裏側に横に黄銅鉱脈が走っていました。
やはり間瀬銅山界隈の鉱石では一般的なパターンなので珍しくはないのですが、なんか得したようで嬉しいです。







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青龍寺の玉髄 [鉱物 (弥彦山周辺)]

31日、弥彦神社及びその敷地内にある某神社に参拝したあと、石瀬の青龍寺へ立ち寄りました。
こちらが本日のメインディッシュ。
このお寺の境内に幾つもの立派な(蛋白石ライクな)玉髄があるのですが、他にもっとないか、周辺の林の中を探すつもりでした。
しかしながらさすがにこの寒波ゆえ、海岸部に近い石瀬でもうっすらと雪化粧・・・

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と言っても、積雪は5-10cm程度しかないのですが。
青龍寺は弥彦山界隈では最も歴史が古く、天平8年(736)、僧行基による開基と伝えられています。
近くには青龍寺遺跡の名で縄文遺跡があり、縄文時代中~後期の土器や石器が出土しています。
墓地にある古い墓は、墓碑だけでなく基礎部分も周囲の山林から切り出してきたであろう岩からなっており、よく見ると表面に玉髄が付いていることがあるのです。

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薄っすらと付いていた雪を払いのけての撮影。
タンパク石に似た質感の玉髄です。
ピンク~赤紫色の玉髄は他にもありました。
あと、白い玉髄の破片もその辺に転がっていたり。数は多くありませんが。

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ひとつ前の玉髄は以前にも当ブログで取り上げたことがあるのですが、こちらは今回新たに見つけた新規の玉髄。
青龍寺や近くの種月寺近辺で見られる岩石は、流紋岩~流紋岩質凝灰岩がほとんどです。
石瀬集落の民家の岩垣もそれらの岩で構成されており、こちらにも玉髄が付いている岩があったりします。

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こちらは青龍寺の奥の院。
昔の建物は火災で焼け、その後コンクリートで覆いを作って再建しました。
ぼくの好きな空間です。

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そのすぐ脇の林の中に、人知れず佇む高さ3m余の銅像。
案内板が立っていないので、その由緒はわかりません。
このあたりの空間もいいですね。

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そして、ここも案内板は特に立っていないので何の神社かはわからないのですが、青龍寺境内で最も神聖さをかんじる空間。
今は訪れる人もないようで、参道は鳥居をくぐるとすぐヤブとなっており、今まで鳥居から奥へ行ったことはなかったのです。
でも、初冬のこの時期は大丈夫そうですね。

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この祠が聖なる空間の中心地。
なんか、弥彦の某神社と”気”のタイプが似ているような。
今年も残すところわずかとなりましたが、最後の最後で念願だったこの名無しの祠を訪ねることができ、すごくラッキーだったと思います。

どうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい!


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妻戸神社付近の地質 [鉱物 (弥彦山周辺)]

弥彦山周辺は素敵な神社仏閣が多く、鉱物探しに訪れるとついでにそれらのパワースポット?に立ち寄ることも多いです。
日本海側で一番のお気に入り、というか聖地No.1は妻戸神社。
神社の詳しい説明は省きますが、この神社の御神体は高さ18mの岩なのです。
一足早い初詣(ぼくは元旦には神社に行きません。前後1週間の間に、気が向いた時に出掛けます)を兼ね28日、妻戸神社へ行ってきました。

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この岩がご神体。
いつ訪れても一帯の雰囲気は極上です。
昨日の石切山もそうでしたが、広葉樹は既に完全に落葉しているのでとても林内の見通しがいいです。
よく見ると、左右の斜面にも大きな岩がゴロゴロしています。

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例えばこんなふうに。
で、まずはこれらの岩をチェック。
弥彦山と角田山とでは地質がやや異なります。
弥彦山塊は新第三紀の地層で、多宝山と弥彦山を結ぶ稜線より西側で寺泊層に整合的に覆われます。
寺泊層と観音寺層は、立岩~矢楯周辺より南側で頁岩と流紋岩質凝灰角礫岩を主体とします。
(参考文献:”新潟県、角田ー弥彦海岸の水中火山岩の産状と見方” by 山岸宏光)
R460を崖松から寺泊野積に向かって海岸沿いを走ってくると、立岩の手前で左手に滝が現れます。
その一帯の岩場と同じく、この岩場も流紋岩質凝灰岩でした。
もちろんご神体の岩も同様。
部分的に緑色凝灰岩が混ざっています。

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意外と周辺の林の中はヤブが非常に薄かったので、岩の頂上の背後に続く尾根まで登り、さらにそこから痩せ尾根を50mほど歩いてみました。
さすがに途中から蜜ヤブに覆われてきたので引き返しましたが、御神体の岩のてっぺんに立つのは思ったより容易でした。


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ここがピーク。
葉っぱが全く付いていないこの時期でも、木の枝が邪魔で展望はあまり利きません。
なんとか日本海は見えますが。
昔々、この岩の上に天香山命(アメノカグヤマノミコト)は座り、大和に残してきた奥さんのことを偲んだのでしょうか。
ここで簡単に天香山命の知られざるプロフィールの一部を紹介しましょう。
彼の名前は、丹後国の籠神社の社家を代々務めてきた海部氏の系図に出てきます。
海部氏の始祖・天火明命(アメノホアカリ)の息子が彼。
海部氏は邪馬台国連合の一角をなす豪族で、女王・卑弥呼をも排出しています。
当時は既に邪馬台国は権力争いのため弱体化しつつあり、天香山命は自分がリーダーになろうと野望を抱いていたのでした。
しかしまだ自分の一族だけの力では邪馬台国連合に勝利することは無理だったので、中央進出を目論んでいた伊都国の神武(=アマテラス族)を味方につけ、彼らを助っ人として大和へ導き入れる案を考え、実行しました。
ところが天香山命の思惑とは異なり、神武は自分が王権を奪ってしまいます。
仕方なく天香山命は神武に従うことにしました。
その後、神武による中央集権(=ヤマト王権)が確立されると、天香山命ら旧体制派の重鎮たちは僻地へ追いやられ、冷や飯を食わされることになります。
かくして越後国へ派遣された天香山命は地元民に農耕をはじめとする様々な知識を伝え、善政を敷きます。
しかしながら数十年後、崇神天皇は北陸・東海・西道・丹波に四道将軍を派遣、同盟国であったはずのこれら4国を制圧します。
そのとき天香山命も、中央から派遣された軍に暗殺されたのでした。
天香山命の遺体は彌彦神社の奥の院に埋葬されました。
以来、アマテラス族は彼の魂を鎮める、いわゆる封印の儀式(=鎮魂祭)を執り行っています。
宮中以外で鎮魂祭が行われているのは、彌彦神社、石上神宮、物部神社の三箇所のみ。
彌彦神社では今でも年に1回、鎮魂祭が執り行われていますが、関係者は誰もその本当の理由を知らないと思います。
ここに駆け足で述べた歴史観は主として次の本に基づくものです。
「伊勢神宮に秘められた謎」坂本政道著(ハート出版)
この本を含め、坂本氏のいわゆる古代史三部作には大いに感銘を受けました。
あくまで個人的な見解ですが、謎の多い古代史のパズルのピースがうまくはまるのです。


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かなり入念に玉髄脈が出ていないか調べたつもりですが、残念ながらこれだけでした、玉髄の片鱗を伺わせるものは。
キノコに見えますが、一応硬いです。

あと、この近くに即身仏を安置していることで有名な西生寺というお寺があります。
弘智法印が入定した岩屋が寺から数百メートル離れた山中にあるのですが、そこも来年中に訪れてみたい。
岩と名のつく名所旧跡は片っ端から制覇したい。
以前一度行こうとしたことがあるのだけど、100mほど進んだ所で踏み跡が途切れ、猛烈なヤブとなったので撤退したことがあります。
今年はもう無理ですが、雪がなければ2~3月中に一度その岩屋を訪れてみたいです。



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石瀬から麓にかけての見所 [鉱物 (弥彦山周辺)]

17日、弥彦山東麓、石瀬集落から麓集落まで、改めて鉱物探しを兼ねて散策してきました。

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石瀬周辺は来る度に発見があります。
多宝山の東が石瀬で、西が間瀬銅山。
多宝山のピークを中心に東西を結ぶラインは、水晶の脈がありありですね。
これは今回新たに発見したメノウ質の水晶。
メノウ部分が青白い色をしているのが特徴です。

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この日の最大の発見は、この5cmほどのメノウ。
近くに同類と思わしき2cm前後の破片が散らばっていました。
汚れがなく、清楚な佇まい。
ちなみに、長波のUVライトで白っぽく蛍光しました。

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来年の春、多宝山東麓に源を発する沢を1~2つ遡行してみるつもりなのですが、その下見も行いました。
これはかなり下流の方ですが、沢の右岸に今は廃道と化している林道が伸びており、その林道沿いに岩場が幾つか出てきました。
見上げるとさらに上の斜面にも大きな岩場があったり、こういう岩場を丹念に探っていくのも面白そう。

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紅葉渋滞の弥彦神社周辺を抜け、今度は麓集落へ。
最近麓集落内の道路に迷い込んだ時、あまりに雰囲気がいいので今度ゆっくり散歩してみようと思っていたのです。
ここは弥彦村ふるさと学校。
旧麓小学校の校舎を民族資料室として開放しています。
麓小学校が閉校してからもう50年がたつとのことですが、ぼく自身これとそっくりの木造校舎に通っていたので、当時の記憶が鮮やかに蘇ってきました。

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もう一軒、観光したいと思っていたのがここ旧武石家住宅。
約300年前の、江戸時代中期の農家です。
実は麓集落に惹かれたのは、昭和40年代あたりの雰囲気を残す民家の佇まいだけでなく、通りに面した石垣の素朴さでもあったのです。
石瀬集落もそうでしたが、この辺の石垣はラフカットされた流紋岩が主体。
青龍寺の境内に見事なたんぱく石がありますが、その母岩が流紋岩です。
なので、メノウや玉髄が付いていないかなあと見て回るのが楽しい。
旧武石家住宅もご多分にもれず、流紋岩が土台部分に使われていました。
残念ながらここでは特に水晶系の鉱物は見当たらなかったけど、すぐ隣の興善寺で水晶発見!

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興善寺の境内です。
弥彦の紅葉谷同様、こちらも紅葉がピークでした。
水晶が見られたのは、左側の石塔下部です。

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かなり風化が進んでいるけど、面積の広い立派な玉髄。
雨乞山から国上山にかけても、探索してみたいポイントが沢山あります。
例えば、麓集落西の黒滝。
粗粒玄武岩からなる滝だそうで、剣が峰砦(標高292m)と共に一度訪れてみたい場所。
あと、国上山北麓の蛇崩(じゃくずれ)も要チェックですね。
1/2.5万地形図の等高線や記号を見ると、何かありそうな雰囲気プンプンです。

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方沸石の美晶 [鉱物 (弥彦山周辺)]

新大のサイエンスミュージアムを見て、初めて沸石ってきれいだなあと思いました。
今年の春から鉱物趣味を始めたばかりなので、それほど場数を踏んでいるわけではありませんが、それでも沸石の有名産地である間瀬海岸には2~3回行ったことがあります。
しかし、いつ行ってもごく小さな沸石しか見ることができません。
なので今までは興味がわかなかったのですが、このミュージアムに展示されているような結晶サイズだと十分見応えがあり、その良さが初めてわかった気がします。
それに触発され、その3日後に間瀬海岸、及びその近辺で方沸石と青い魚眼石探し。

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そして、幸運にも幅14cm、質量920g(もっと大きかったけど、現地で整形しました)の、方沸石がびっしり付いている石を見つけることができました。
ちなみに、この石は岩をハンマーで割り、中から出てきた結晶ではなく、表面採取になります。
ちょっとした死角にあった岩だったので、今まで誰の目にも触れずに生き残れてきた?のだと思います。
ところどころ拡大してみます。

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基本的には方沸石が大半を占めていると思うのですが、次の写真に見られるように菱沸石も混在しているようです。
実は新潟市の海岸の護岸地帯でも方沸石は見ることができるのですが、薄汚れているものが多く、それほど感動はありません。

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どうも魚眼石とは縁が無いようで、今回も青い魚眼石はおろか、無色のそれにもお目にかかることはできなかったのですが、自形結晶の形はしていないものの、水色の魚眼石らしき鉱物が岩場のそこかしこに見られるポイントを発見しました。

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海面から5~6mくらいあるでしょうか。
ある場所からよじ登ったのですが、その取り付きにたどり着くのは干潮時でないと難しいのでは?
この辺に、形状だけだったら沸石系のような白っぽい水色の鉱物が散らばっているのです。

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水色の鉱物を見かけたら、まず魚眼石と思って間違いないと鉱物に詳しい方のブログで読んだことがあるのですが、そうだとしたら魚眼石なのでしょう。
ここからさらに上にも登っていけますが、ザイルなどの登攀道具がない限り一方通行になります。
尾根上にそのままエスケープして200~300mほど尾根を縦走し、適当なところからヤブこぎをして降りてくるしかない。
そこまでする気はありませんし、ここからでも下に降りる時はすごく神経をすり減らしました。
安全第一で鉱物ウォッチングを楽しみたいものです。


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西生寺の石たち [鉱物 (弥彦山周辺)]

崖松付近を探索したあと、即身仏で有名な西生寺へ立ち寄りました。
ここは好きなお寺なのでもう何回も来ているけど、鉱物に着目して探索するのは今回が初めてです。
弥彦山東麓はかつて複数の鉱山があったところなので、西生寺には期待が高まります。

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いきなり現れました、石神さま!
ナルホド、岩が生きているというか、岩なりの意識を持っている感じでしょうか。

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近くにはこんな石も。
駐車場側でない、お寺の正門側には銘石が幾つもあり、石英脈や方解石脈こそ出ていなかったものの見応えがありました。

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これはその中のひとつ、赤碧玉です。
おそらく佐渡産の赤玉ではないでしょうか。

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結局、水晶系の鉱物はこれだけしか見つけることができませんでした。
かなり風化していますが、それでも透明感のある貴重な結晶です。

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境内には石像や石仏が多く、どれも優しい波動を放っています。
やはり石仏が多い国上寺にも言えることですが、石仏をテーマに写真を撮るのも面白そうです。

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帰り、野積橋を過ぎて大河津分水路右岸の道路を走っていると、すぐ左手にこんな看板を見かけました。
これはすごい!
空き地に車を停め、銘石の数々を見学。
既に夜のとばりが降りてきていたので10分ぐらいしか見学できなかったけど、各石の上には値段が書かれた石板が置かれてあり、大体の相場を学びました。

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これは典型的な赤玉(赤碧玉)ですが、1m以上ある巨岩です。
この石でちょうど50万円也。
これは最上級グレード?(この店の)で、他の石はこれより安いものが多かったです。

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崖松キャンプ場付近の海岸で水晶探し [鉱物 (弥彦山周辺)]

先日、8月11日の記事で取り上げた海岸へぶらりと立ち寄りました。
最初に訪れたのは4月23日。
その時は崖松キャンプ場を探検したのです。
先端の岩場がとても魅力的なのですが、陸からはアプローチできません。
ならば、山の上からはどうだろう?
踏み跡でもあるんじゃないかと思って崖松の上を目指したんですけど(その時は崖松キャンプ場の存在を知らなかった)、麓には狭いながらも路肩に駐車スペースもあり、ちゃんとした登山道が岬の上へ向かって伸びていました。
ネットでは心霊スポットなどとして書かれていますが、季節が春だったせいかヤブも深くはなく、それほど陰気な雰囲気はありませんでした。

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これはそのとき撮ったキャンプ場の管理棟。
日本海側の景色だけはよかったけど、駐車場からここまでが完全に登山モードに入るので、思ったより体力を消耗しました。
いろいろと施設の残骸が残っているので、廃墟マニアならずとも結構面白かったけど。
ここから下山して、すぐ降り立ったのが近くの海岸。
8月11日の記事の場所です。
前回は簡単にしか見ていないので、改めて念入りに石をひとつひとつ見て回りました。

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新たに幾つか水晶や方解石の結晶を見つけたので紹介します。
これは方解石だと思います。
UVライトを当てたら、多分明るめに蛍光するでしょう。

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これら3枚は水晶です。
ほんのり薄紫がかっているので、アメジストと言えなくもない。
ところで、田ノ浦海岸側の岩場に上からロープが垂れ下がっているのですが、あれはなんのため?
ロープの先もまだ絶壁が続いているし、その先に踏み跡があるわけはありません。
謎です。




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弥彦公園と国上寺の鉱物 [鉱物 (弥彦山周辺)]

26日夕方、JR弥彦駅駅前に拡がる弥彦公園一帯を歩き回ってみました。
目的は鉱物調査と運動不足解消。
そこかしこに岩があり、最初はワクワクしっぱなしだったのですが、全く石英脈がありません。
どうも気配がない。

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唯一、公園入り口に立つ花崗岩の柱に興味を惹かれたぐらい。
一口に花崗岩といっても多くの種類があるのですが、この花崗岩は白っぽく、つまり斜長石を多く含んでいると思われ、それなら蛍光するのではないかと想像したのです。
昼間ではありましたが、取りあえず365nmのUVライトを当ててみました。

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予想通り、かなり明るめに蛍光してくれました。
斜長石本来の蛍光色は、長波の場合青紫なので、赤っぽい部分は表面にうっすらと付いている苔に反応したものだと思われます。
白い花崗岩だったら全て斜長石を含むかと言ったらそうではありません。
蛍光現象の観点からは、この柱は貴重です。


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紅葉谷から湯神社へ行く途中、ひょうたん広場と名付けられた広場を通過しますが、やっとここで石英様にご対面。
中央の緑色岩がそれ。
拡大してみます。

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弥彦神社境内も少し見たけど、石英系の脈が付いた岩石は皆無でした。
最後に国上寺に立ち寄りました。
既に日没は終えていた時間だったけど、暗くなったら暗くなったでUVライトを使って蛍光鉱物を探すという選択肢もあります。

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超駆け足で見た限りでは、境内右端の一区画でメノウや小さな玉髄が散らばっているだけでした。
上の写真はそのメノウです。
白く蛍光したので見つけることができました。

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2cmと小さいですが、こちらは玉髄。
流紋岩の母岩から剥がれ落ちたものでしょう。

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そして、その区画の背後の斜面に、なんと誰かが掘ったであろう晶洞を発見。
幅30cm、入り口の高さ15cm、奥行きは未確認ですが、少なくとも25cmはあったと思います。
何を掘り出したのでしょうね?


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浄専寺の鉱物 [鉱物 (弥彦山周辺)]

浄専寺は、新潟市西蒲区石瀬にある真宗大谷派の寺院。
先日、青龍寺を訪れた際、ついでに立ち寄りました。
1990年、新潟市の文化財に指定された庫裏書院南庭を見学するのが目的です。
(もちろん、庭石に最も興味があるのは言うまでもない。)
ここの庭園は屋敷内にあるため、見学の際は申し出る必要があります。
玄関の呼び鈴を押すと住職が現れました。
すぐさま座敷に通され、まずは帳面に住所と名前を記入します。
その後簡単に住職から寺の歴史や庭園の由来の話があり、それから住職直々に庭園を案内してくれました。
ただし廊下からの見学で、庭園を歩き回ることはできません。
住職の話で印象に残ったのは、子供の頃の話。
近年どこも弥彦山麓を流れる川はコンクリートで固められてしまいましたが、そうなる前はお寺の脇を流れる沢には黄鉄鉱(パイライト)があちこちでキラキラしており、子供の頃、よく黄鉄鉱を拾って遊んだそうです。
やっぱり・・・・・


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庭園は大きく三箇所あり、これが最も面積の広い庭園。
文化財の指定を受けている庭園ではないのですが、ここが一番絵になるなと思ったので。
全ての庭園で、目を皿のようにして庭石にメノウや石英脈がついていないか探したのですが、ひとつふたつ怪しい石があったけど、遠目なので定かではありません。

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じゃあ、浄専寺には何もめぼしい鉱物はないかというとさにあらず。
これは境内入り口正面に鎮座している緑色片岩。
数箇所に大きな石英脈が付いています。

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境内の見所はもうひとつ、鉱物には関係ないのですが、天明7年(1787)創建になる経蔵(次の写真)が挙げられます。

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北国街道沿いは、隠れた観光資源の宝庫です。


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